2025年10月30日木曜日

『本所おけら長屋(二十)』(畠山健二)読みました。


「何してんだよ、早いとこ、ちこっとでも
 黒いの載せてくれないと寒くて仕方ねーだろ」

と文字が並んでいくのを待ち構えているような
真っ白なパソコンの作業ウィンドウをにらみながら、
うんうんうなっていると、

「この前、守株って言葉を辞書で調べたの
 忘れちゃいねえだろ。習慣にとらわれて、
 何もできなくなっちまうのはバカだって
 言ってたじゃねえか。関係あるようなないような
 微妙なネタをひねり出すなんてえ、まどろっこしいこと
 してねえで、どこがつまらなかったとか、オモロかったとか、
 ズバッとそのまま感じた気分を書きゃ済むんじゃねえのかい」

って声が聞こえてきたような気がして、
でもそれは聞こえたんじゃなくて、
キーボードで言葉を入力し始めてから、
勝手に指が動き出して、
きっと正確にはそんな話し方はしないんだろうけど、
ここにある脳みその中ではそれが江戸っ子弁だと
信じられているような口調で
次々にセリフが表示されていったわけで。
なので今回はこれでいいことにします。

で、この『本所おけら長屋(二十)』。

影響を受けた江戸っ子弁がときどき漏れ出るようです。

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2025年10月28日火曜日

『悪人すぎて憎めない』(クイーム・マクドネル)読みました。


ということで「バランス」の話。

仕事でよく、電気についての原稿をつくります。
いろんなものを動かしてくれ、
今もこのパソコン画面を見せてくれていてる電気は、
つくるのと、使うのと、が同じ量になってないと
ダメらしいんです。

発電所から出てる送電線のその先につながってるのが
もしこのパソコン1台(使う電気は1)だけだったとして
それなのに原子力とかで100の電気を
流しちゃったらって感じかな。

1と100は極端だけど、
その違いがもっとわずかでも、目に見えない電気は、
つくる量 ≠ 使う量だとヘンテコな酩酊状態になり、
つながってる一帯が停電しちゃうんだとか。

だから、発電所の人たちは、
どんだけの人がエアコン使って掃除機かけて
ドライヤーで髪乾かして機械動かしてみたいのを
逐一予想して、瞬間瞬間で電気つくる量を調整し、
使う分とのバランスをとっている模様です。

で、この『悪人すぎて憎めない』。

面白い比喩をごってり盛って
ちょっとお腹いっぱいな表現が多いなと感じていたら、
後半からそうではなくなって
バランス的にはちょうどよくなっていきました。

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2025年10月23日木曜日

『ボタニストの殺人(下)』(M・W・クレイヴン)読みました。


ということで、
今も正確には理解していない「コク」の話。

「おいしい」はわかります。
まずくないもの。
もう十分老齢なのにいつまでもお子様の味覚なので、
ハンバーグ、スパゲティ、オムライスなどが
「おいしい」です。それはわかります。

でも「コク」ってのがわからない。
辞書には「濃厚なうまみ」って載っていたけど、
それは「すごくおいしい」と一緒じゃないのか。
一緒じゃないんだそうです。

前に友だちにそんな質問をしたとき、
2種類の日本酒を飲まされ、
1つはおいしいけれどコクがない、
もう1つは味は落ちるけどコクがあるだろ、
と教えられたんですが、
具体例出されてもわかりませんでした。

で、この『ボタニストの殺人(下)』。

どっかの書評で、スピード感のある展開で
めっぽう面白いんだけど、その分コクがないと言ってました。
そう言われると、なんとなくわかるような気がして不思議。
ほんでもって、めっぽう面白いのも本当。

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2025年10月21日火曜日

『ボタニストの殺人(上)』(M・W・クレイヴン)読みました。


これを書いているのは2025年9月22日で、
きのう21日の読了からさほど時間はたっていないので、
脳みその興奮はまだ冷めておらず、
出来上がりほかほかな状態ではあるんですが、

そういうときこそ、その興奮がこの本のどんなところから
どんなふうに生まれたのかといった解説などはせずに、
いつも通り脇道にそれるのが、
へそ曲がりな人間の王道なんじゃないかと、いうことで、

いや、ちょっと待って。
そもそもへそ曲がりっていうのは
王道を行かない人のこというのであって、
何行か前に出てきた「脇道」の通行が当たり前だから、
脇道こそ王道だろう、なんていっちゃうと語義矛盾はなはだしく、
だんだん何を言っているのかわらぬエントロピーになってるうちに、

これだけ文字を埋めてしまったのだから、
そのまま突っ走ればいいじゃんか。
と、左肩に乗っているミニデビル君はささやくのだけれど、
今まで意識から離れ、
勝手にキーボード上を踊っていた気がする我が10本指は、
(右と左の人差し指だけを使う高速2本打法は少し前に卒業し、
 今はなんとか全員参加型に移行できています)
年齢とともに有効活動時間が短くなっているマイジョニーのように、
へなへなしてきたようなので、このへんにしときます。

で、この『ボタニストの殺人(上)』。

まだ下巻もあるんですが、おもろくて、興奮しちゃって、
意味不明な感想文もどきになってしまいました。
すいみません。睡眠じゃありません。

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2025年10月16日木曜日

『本所おけら長屋(十九)』(畠山健二)読みました。


1日に3回ある読書時間のうちの1つ
お弁当を食べながらページをめくる昼休みには、
本を閉じた後にももう一つのお楽しみがあります。

シエスタ。そんな洒落ていうことないな昼寝です。

夜の寝床での読書と同じように、
この明るい時間でも、文字を長く追い続けていると、
まぶたが重くなってきちゃうんです。

そのまま気力で
無理やり目を開けておくことも可能だけれど、
でもそれだと、
午後の仕事がはかどらないってのは、十分経験済み。

なので、いつも15分だけ机の下に潜り込んで、
夢の世界に逃げ込むようにしています。

目を閉じる前には、
キッチンタイマーのスタートボタンを押し、
気がついたら夜になってたなんて事態にならないよう、
ピロピロ鳴る目覚ましを用意しときます。

それでも、もうちょい長く眠りたいなんてときもあり、
それほど変わりはないんだけれど、
眠り始める前に、目を閉じて100秒数えてから
タイマーを作動させるっていうちょっいズルをやったりします。
…あ、この話題こんな長く書くつもりじゃなかったのに。

で、この『本所おけら長屋(十九)』。

いつも通り、面白かったです。
いつも通り、本の内容とはまったく関係ない話ですみません。

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2025年10月9日木曜日

『了巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


紹介する書籍の内容とは関係がないような、
でもたまにはあるような、感想文ではないような、
でも本を読んだからというとっかかりがあって
書くのだから「面白かったです」や
「好みとは違ってました」程度の感想もどきを
付けるようには気をつけているいつもの体裁。

それを今回ばかりは違った形にしようと思い、
文章の始まりから、上に書いた作品の内容に触れて、
なんやかんやとつづっていこうと心に決めて
キーボードを打ち出したはずなのに、
もうずいぶんと初心から離れてるどうでもいい
言い訳的ぐだぐだで文字を埋めてしまい、

どうするよ、
このままだといつものパターンになっちゃうぜと、
今、目の前で「A」とか「H」とか
「スペース」とか「英数」とか「改行」とかの
ボタンが並んでいる薄っぺらの板の上で
動いている5本指に言い聞かせているんだけど、

すでにもうこんなに書いちゃったから、
今さら、普通の読書レビューに近づけようと
軌道修正しても、やはり変わらないじゃないかと、
思い至りました。
なので、毎度の「で、この『作品名』。」のあとを
少しだけ長して、ごまかそうかと。

で、この『了巷説百物語』。

エクセルの読了シートをたぐったみたら、
最初に読み終えたのは去年の9月でした。
これを書いているのは、そのちょうど1年後。
その間にシリーズ前6作を再読し、ここにたどりつきました。
この最終巻、前6作品の記憶が新しいうちにこなしてみると、
ずごさ倍増、いや5倍増くらいに感じられます。やってみて。

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2025年10月7日火曜日

『本所おけら長屋(十八)』(畠山健二)読みました。


自分で原稿をつくるのはいつもの仕事なんですが、
そのほかにも、ライターさんの書いた文章や
提供されたテキストをチェックするのも
日常的にやってます。

前に、仲間に頼んだ分があがってきて、
それに目を通したあと
「ちょっとあせって仕上げた感じだね」
と感想を言ったことがありました。

すると彼は
「えっ、やっぱ、ばれちゃったか」
と頭をかきました。

読みやすくそれなにりまとまりのある内容になっていても、
どこがどうってわけじゃないんですが、
自分でもはっきりとは示せない文字の並びの端々に、
もやもやした違和感みたいのが、
ぼんやりとまとわりついているように感じちゃったんです。

それをピンポイントで「ここだ」と
指摘できるようになりたいけれど、
なかなかなれません。

で、この『本所おけら長屋(十八)』。

読みやすくそれなりにまとまり、面白いけど、
今回は、読んでる途中もやもやした何かが
ちょぴり滲み出てたような気がします。

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2025年10月2日木曜日

『君のクイズ』(小川哲)読みました


どんでん返しされるのは、
びっくりさせてくれるから面白いんですが、
ときには諸手を挙げて歓迎するのにはちょっと
抵抗があるのもたまに目にします(主に後述の②)。

それとは逆にまったく抵抗なしの
両手あげっぱなしでスタンディングオベーション
できるものもある(主に後述の①)。
その拍手パチパチ物語の代表例は、
(あくまでぼくの貧弱な記憶内の作品中ですが)
昔の映画の『スティング』でしょうか。

どんでんというからには、
表と裏があって、それがひっくり返る状況。

表ってのは、よきこと。
満面の笑顔で暮らせていたり、楽しい仲間がたくさんいたり、
花畑をるんるんでスキップしていたり。
裏はその反対で、よくないこと。
死んじゃったり、大切なものを奪われちゃったり、
苦しい状況にはまり込んだり。

この表裏を使うどんでんには2つのパターンが考えらます。
①(裏→表)
物語の中で、いろんなことがあったけど、結局死んじゃいました。
どんでん。生きてました。
②(表→裏)
物語の中で、いろんなことがあったけど、結局幸せに暮らせました。
どんでん。幸せは勘違いで、すぐ死んじゃいました。

で、この『君のクイズ』。

面白かったけど、最後だけ少し抵抗ありました。

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2025年9月30日火曜日

『遠巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


前にも言いましたが、うちの本棚には、
購入してまだ読んでいない書籍を並べておく
積ん読空間があります。
てか、そのスペースを無理やり捻り出しています。

それとは別に、余裕ができたら再読するぞ作品を置く、
も一度コーナーも設けています。

ただそこにはなかなか手がつけられず、
もう何年もライナップが変わっていません。
(どの作品だったかもよく覚えておらず、
 本棚が目の前にない今、薄い記憶をたどって
 浮かんできたのは伊坂幸太郎さんの『ガソリン生活』)
そうはいっても、も一度コーナーをすっ飛ばして、
違う棚から持ってきて再読してるのもあるんですが。

常盤新平さんは『剣客商売』(池波正太郎)の巻末解説に、
この作品を何度も読み返すって書いていました。
でも、内容はあまり覚えてなくと。

ぼくも同じで、再読する本は、
たいてい初読から何年も間があいているので、
あまり覚えてないどころか、
まるで初めて開いた本のように、
頭の中はまっさらさらなのが普通です。

で、この『遠巷説百物語』。

シリーズ再読している小説の6巻目。
直前の5巻まではまさしく
記憶まっさら状態だったんですが、
なんとこれに関しては、話の筋が脳の隅っこに
かすみとかもやレベルで引っかかってました。
5巻以前は15年以上前、
この6巻は3、4年前の読了ってのが原因のようです。

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2025年9月25日木曜日

『グレイラットの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


もうずいぶん前から、
平日は1日1ツイートという自分縛りを課して
140文字ぴったりのつぶやき文を
ネットに投稿しています。
文章修行しているつもりで、
多少は面白く読めるよう工夫したりする。

それやってて気づいたことがあるんです。
例えば次の140字。
《文章の行の先頭には、句読点とか終わりカッコとかが
こないようにするのが作文するときのルールなので、
無意識のうちにそうならないよう書いているけれども、
もし、マル(。)くん、テン(、)ちゃん、
とじカッコ氏(」)らが意思を持ち、自分たちも
行の先頭に置いてほしいと訴え出したらどうしませう。》

これ最初は、ウィンドウ表示に合わせて
1行の文字数が自動的に増減する画面だと、
句読点が先頭にきても仕方ないよね、でも変だよね的な
文章の流れにしようと考えていたんです。

ところが途中で「ちょい待て。それで面白いか?」と
立ち止まったら、それまで脳内のどこにもなかった
マルくんやテンちゃんって名前が浮かんできて、
それ使ったらこんなヘンテコな文章になったんです。
ぼく的にはこっちのほうが面白くて。
立ち止まりの大切さに気づいたような。

で、この『グレイラビットの殺人』。

たくさん立ち止まって
面白くしてくれてるんだろうなと勝手に感心。

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2025年9月19日金曜日

『依頼人は死んだ』(若竹七海)読みました。


前回の感想文もどきで
同じ本をダブりで買ってしまう話を書いたとき、
例をあげて、
「ダブってもいいやと入手したら、
 案の定って感じでしょうか」
とまとめました。

それと一緒に自分のケースも紹介して、
きちんと失敗したとは明記せず、
落ち込んだとか、まあいいか、
とかで結びました。
もう1つあげたケースでも、
「2つ目がこれでした」と書いただけ。

これでいいのかなって今更ながら思ったんです。
最初の例なら、「案の定」の後に、
その人の本棚には同じ書籍が並べてありました、とか、
自分の例だったら
『続々・深泥丘奇譚』が2冊になっちゃいました、とか、
結論まではっきり記さないと、
読んでいる人に対して不親切じゃないだろうか。
というか、伝えようとした内容がわかってもらえず、
意味不明の文章になっているんじゃないだろうか、
と考えたんです。

したらそこで唐突に、
昔友だちが言っていた(たぶん、言っていたと思う)、
「全部を表現しないのが芸術だ」
という意見を思い出しました。

映画なら観客に、小説なら読者に、
想像してもらう余地を残しておく。
もっというと自分の意見を押し付けた表現じゃなく、
「ここまでこういう話をしたけど、
 それについてどう思うか考えてみて」
みたいなのが本物の芸術作品なんだよって思想です。

で、この『依頼人は死んだ』。

短編集。
よく考えないと「えっ、だからどうなったの?」
になるお話がいくつかありました。
全部はいわない、と。

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2025年9月17日水曜日

『本と鍵の季節』(米澤穂信)読みました。


同じ本をダブって買ってしまうことが、
古本のコレクターにはよくあると聞きました。
書痴あるある、らしいです。

好きな作家や価値があるとされる全集物を揃えようとして、
何巻と何巻が抜けているのか忘れてしまい、
古本屋さんの棚に刺さっているのが
それに該当するかどうかわからず、
でもこの機会を逃せば
もう二度と巡り会えないかもしれないと不安になり、
ダブってもいいやと入手したら、案の定って感じでしょうか。

ぼくはまだまだ、その域には達していないので、
ダブリスクの経験はそれほどないのですが、
これまで2度ほどやらかしたことはあります。

1つ目は、綾辻行人さんの『深泥丘奇譚』シリーズ。
今Amazonで見てみたら全部で3巻しか出ていないのですが、
3冊とも読んでいるのに、新しいのが出たのだと勘違いして、
3作目を購入し、本棚のストックも確認せず、
そのまま読み進めて、3分の1ほど目を通してから、
「これ前と同じ話じゃないの、ひょっとして手抜き?」
なんて思ったら、という本人にしてみると
1週間は落ち込みメンタルな事態でした。
でもまあ、こうして書いてみると、
ちょいネタになったからいいか程度のものかな。

で、この『本と鍵の季節』。

2つ目がこれでした。しかもシリーズはまだ2作だけ。

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2025年9月11日木曜日

『本所おけら長屋(十七)』(畠山健二)読みました。


30冊近くある鬼平犯科帳、
10冊くらいの仕掛人・梅安、
20冊ほどの剣客商売、
その3大シリーズがある池波正太郎さんのスペースは、
奥に村上春樹さんの単行本が並んでいるトコの
前空き部分です。

なぜこれを選んだのか
今ではとっても不思議なこの本棚は、結構な奥行きがあるので、
普通の大きさなら2冊を縦列駐車(車じゃなく本ですが)しても、
まだ前に数センチ余裕ができ、
そこにガチャポンでゲットした動物とか寿司ネタとかの
カプセルトイが置けたりします。

でも縦列しちゃうと奥にセットしたものは、
背表紙がまるきり隠れちゃって何があるかわからないので、
奥には文庫本よりは背の高い単行本を並べ、
その前は判型の小さい文庫ちゃんの場所にしているんです。

そうすれば後段であっても
タイトルの最初の1文字か2文字目くらいは
顔を出してくれるので、とりあえず識別はできる。

とはいっても、さっき言った池波3シリーズは
ざっくり合計して60冊あるから、そのまま並べたら、
村上シリーズの前段スペースには収まらない。

そこで、この大勢の時代物くんたちには
窮屈な姿勢をとらせて申し訳ないんですが、
後ろの1文字が見えるギリギリの高さまで平積みにして
がまんしてもらっている状況です。

で、この『本所おけら長屋(十七)』。

もう17冊になっちゃいまいした。
どこに置けばよいの。

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2025年9月9日火曜日

『キュレーターの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


最近出た2、3作は除いて
ほとんど読ませてもらってる伊坂幸太郎さんの作品に
『クジラアタマの王様』というのがありました。

この本、小説ではあるんですが、
ところどころにマンガが差し込まれているんです。
(実物が手元になくて、もしかしたら間違って
 ほかの本のこと言っているかもしれません。
 と不安になり、ネットで確認してみたら
 Amazonでサンプルページがあったので見ると、
 やっぱマンガページ載ってました。よかった)

なぜ、そうしたつくりにしたのかを語る著者談が、
あとがきか、解説か、もしくは
どっかのインタビュー記事だかに載ってて、
(またまた、出典があやふやで、すみません)
いわく、
アクションを表現するのに文章だけではどうしても弱い、
ビジュアルにはとても叶わないので助けてもらった、
みたいな感じでした。

まあ、そうかもしれないな。
突如出現した怪物から逃げるシーンで
「石につまずき転んだ」と文字を読まさせるより、
絵を見せたほうが臨場感あるだろうし、
とそのときは思ってました。

で、この『キュレーターの殺人』。

ぼく的には、
絵よりも臨場感ある描写がありました。すごっ。

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2025年9月4日木曜日

『ケアと編集』(白石正明)読みました。


メモってある読み終えた日付は7月30日。
んで今、この感想文もどきの文章を、
キーボード叩いて打ち込んでいるのが8月25日。
なんとまあ、1カ月近くたっています。

この後続くだろう感想文もどきについても、
これを書いた後にとりかかるわけで、
わかっているだけでもあと5冊残っています。

幸いにしてどの作品も、
好みから大きく外れたやつはなかったので、
内容が頭からすっ飛んでしまい
カケラも残っていないというものはなく、
かろうじて、こじつけ作文はつくれそうです。

たしか吉本ばななさんの小説だったと思うんですが、
新学期の始まる直前まで夏休みの宿題をやらない友だちを、
うらやましく思うという小心者の登場人物がいました。

彼女はビビり屋さんなので、宿題は早くから手をつけていないと
終わらせられないかもというプレッシャーがあって、
1日でも早く片づけようと、ずっとびくびくしてる。

なのに、友だちは宿題のことなど気にもせず、
のびのびと遊び回っていられる。
自分はアリで、友だちはキリギリス。
キリギリスのような度胸を持ちたいと。

それ読んだとき、
同じく小心なぼくはいたく共感し、
そうそうキリギリスの肝っ玉を10分の1でいいかから
わけてほしいよねと思ったことがあったのに。
実際、宿題は早く終わらせてて、でも友だちには
「まだ終わってねーぜ、へへ」なんて言って
ワルなフリしてたのに。

今ではなぜに、いつまでもやらず
読了本の溜め込みしちゃうのでしょう。

で、この『ケアと編集』。

すいません。本とは無関係な話で
またここまで来ちゃいました。
とっても面白い本だったのに。

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