2025年12月11日木曜日

『イン・ザ・プール』(奥田英朗)読みました。


少し前、ヒザの近くにある
足三里ってツボのことを話題にしました。
自分なりにその場所を推測して、
それが間違えていたりといろいろあった話です。

でも、場所が違っていたとはいえ、病は気からなのか、
お風呂につかりながら毎日そこを指圧するようになってから、
不思議とあちこちに発生していた脚の痛みがなくなってる。

それまでは、
ランニング通勤を日課にしてる限り負荷がかかるんだから、
苦痛が出るのは当たり前だと思ってました。
痛みのない日もあるんだけど、月のうち半分はヒザだったり、
ふくらはぎだったり、アキレス腱だったり、足裏だったり、
どっかしらが悲鳴をあげてました。

で、ここで言おうと思ったのは、ツボが効くってことではなく
(それはたぶん、さっきいった病は気から的なものだろうから)
痛みが出たときの対処法。

ずばり「痛くなったら走れば治る」です。
そんな経験則が十年以上続けるうちに
出来上がってきちゃったんです。

痛すぎて今日は無理と思っても、
なんとかゴールすると痛みは忘れてる。
ホントなんです。

で、この『イン・ザ・プール』。

そんな感じの治療をするお医者さんが登場します。おもろい。

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2025年12月9日火曜日

『栞と嘘の季節』(米澤穂信)読みました。


前の『マーブル館〜(下)』では
結局関係ない話として締めてしまいました。

車の話をずるずる引きずって収集つかない気がしたからで、
でも、あれを書く前に頭の中で描いていた文章の流れは、

昔の自動車の不具合に始まって、
→ 関連してテレビなんかも叩けば直ったもんだ
→ 今の機械はもっと複雑で繊細になっちゃったから、
  そんなド根性方式では故障には太刀打ちできない
→ さらに不具合の様相も進化
→ 例えばパソコン。ちょっと前までは、
  アプリケーションの挙動がおかしいときには、
  再起動したり、インストールしなおしたりと、
  あくまで目の前にあるマシンの操作で
  何らかの対処をして復旧させるのが基本だった
→ まあそれは変わってないのかもしれないけど、
  よりグローバルチックになっちゃって、
  この前はソフトのメーカー側のシステム障害だかなんかで
  なぜか、この目の前のパソコンにあるソフトが動かなくなった
→ それはまあ1日くらいで平常に戻ったけど、
  その1日の間も仕事しなきゃだから、緊急対処法として、
  一旦ネットの接続を切ってから起動するよういわれ、なんとかなった
→ ああ、世の技術ってのは変わってくんだな
→ 昔が懐かしいな。

という流れで展開して、締めは、作品のタイトルを書いたあとに、
この本はどっちかっていうと新しい志向というよりも
昔のミステリの良さ的なものを追っているような気がした、
ってまとめたかったんです。

で、この『栞と嘘の季節』。

そう、この作品もそんな感じがしました。

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2025年12月4日木曜日

『マーブル館殺人事件(下)』(アンソニー・ホロヴィッツ)読みました。


昔はよく車のエンジンがかからなくなったもんです。
そんなときは、少し力のありそうな人に手伝ってもらう。

ぼくは運転席に座り、ギアをローに入れたまま
一番左側のペダルを踏み込んだ状態で
「じゃあお願いします」とか言って合図する。

すると、助っ人さんは
後ろからえっさほっさ車体を押す。

はじめはゆるゆるだけど、
しばらくすると勢いがついてきて
子どもの三輪車くらいのスピードにはなる。

そのタイミングで、
左足をポンとあげてクラッチをつなぐと、
ゴボゴボっプスプスっと希望の音色があがり、
その瞬間に今度はアクセルをペコペコやってやると、
ブルンブルンブルンってあの内燃機関が回り出す。

でも今はほどんどがオートマになっちゃって、
そんなのはできないんだよね。
そもそも、エンジンかからないこと、そんなにないし。

で、この『マーブル館殺人事件(下)』。

すみません、また関係ない話でした。
どうにか話はつながると思ったんですが、
つながりませんでした。
でも本は面白かったです。

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2025年12月2日火曜日

『俺の文章修行』(町田康)読みました。


「貯めました」じゃないな。
「為ました」これも違う。
じゃあ「溜めました」。
うーん近い気もするけど、
やっぱ「タメました」くらいにしとくと、
なんだかダメっぽい感じがするから、それにしましょう。

ということで、1冊を読み終えたごとに、
この感想文もどきを書いていればいいものを、
作品の最後のページを閉じても、
読了リストにタイトルとか著者名とかのスペックだけ記して、
ほっぽらかしにしていると、
貯まるんですわ、あっ違う、タマるんですわ。
もどき文作成の未処理分が。

これを書いている時点でもう6冊、
1文字も進めていないのが残っています。

これから手をつけようと思うんですが、
もうすぐ、やらなきゃ生活にかかわるあれやこれやが、
8月31日まで開いてもいなかった夏休み算数ドリルのごとく
押し寄せてくるのはわかっているので、
当然そいつらの襲撃を受けると、
もどき処理にかける時間はなくなるわけで。
と、文体を似せようと意識しながら
ここまでペコペコ入力したけど。

で、この『俺の文章修行』。

文章の書き方が示されてる本なので、
ならって試したんですが、読み返しても、
ちっともその内容を習得したようには思えません。

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2025年11月25日火曜日

『マーブル館殺人事件(上)』(アンソニー・ホロヴィッツ)読みました。


ということで、
ミステリ物を読んでいるときの心のうちについて。

もうすぐ読み終わりそうな作品の中に
町田康さんの文章作法に関するものがあって、
そこに「極端にいえばミステリは2行で終わる」
みたいなことが書いてありました。

1行目は「ある日、色男が殺された」。
2行目は「犯人は妻だった」。
って感じです(正確な引用ではありません)。

まあ、そういえないこともないんですけれど、
その行と行の間にあるあれこれを追っていくうち、
犯人は誰だろうって考えていくのが
楽しいというか、面倒臭いというか。
だから読んでるんだっていうか。

でね。
それでもし、半分くらいまでページをめくって、
真犯人がわかったとしたら、
それは面白い作品といえるのでしょうか。

で、この『マーブル館殺人事件(上)』。

実はもう下巻の終盤まで読み終わってて、
1つの事件の犯人は判明したんですが、
絶対の自信があったぼくの推理はまったくのハズレ。
かすりもしませんでした。
なので、面白いです。

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2025年11月6日木曜日

『悪いうさぎ』(若竹七海)読みました。


つい昨日から読み始めた翻訳物ミステリは
上下巻ある長編で、まだ1冊目の100ページほど
こなしただけなのに、登場人物がすでに
10人以上になっているんです。

『マーブル館殺人事件』(アンソニー・ホロヴィッツ)。

同じシリーズの前2作が好みにぴったんこはまったので、
今回も楽しませてくれるだろうと
期待してかぶりついた推理物。

ストーリーは独立しているんだけど、
主人公の境遇なんかは前作からつながっていて、
当然、物覚えの悪いぼくは、そんな背景も忘れているから、
新たに出てくるキャストに加えて、
古株の役者たちも「これって誰だったけ」と
思い出しながら先に進まなきゃいけない。

なのだけれども、筋を追い出したらなんのことはない、
運動して汗だくになり喉カラカラ状態でのビールのように、
ずんずんごくごく、頭の中に入っていくんです。

今は、そのスムーズペースに身を委ねているから、
余計なことは考えず、物語の中に没入しようと思ってるけど、
読み終えてしばらくしたら、
なぜそんなに読みやすいのか、検証したいな。

で、この『悪いうさぎ』。

面白かったけど、途中で誰が誰か、こんがらかりました。

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2025年11月4日火曜日

『赤ちゃんは世界をどう学んでいくのか』(奥村優子)読みました。


チャットGPTが出始めの頃、
一度試してみるかと、
仕事のネタ探しに使ってみました。

でも、
いくら質問を変えてもぴったりの面白話は出現せず、
それでも手を加えれば何とかなると思い、
その中の一番ましなヤツをこねくり回そうと、
その引用元を探し確認してみると、
事実と正反対などあちこちに間違いが見つかり、

動物が一度危険な目にあった場所には2度と近づかないように、
当分の間、生成AI界隈には寄らないようにしていました。

「いやいや、今はもうぜんぜんレベルが違うから。
 使えるから。楽になるから」
と友だちが熱烈に推奨するのを聞いたのは、つい先週。
そのとき思ったのが、
「そうだ、この感想文もどきを生成くんに
 つくってもらったらどうだろう」でした。

で、この『赤ちゃんは世界をどう学んでいくのか』。

そう思ったのに、全部自分で作文しちゃいました。
赤ちゃんを見習って世界を学ばなきゃダメだな。

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2025年10月30日木曜日

『本所おけら長屋(二十)』(畠山健二)読みました。


「何してんだよ、早いとこ、ちこっとでも
 黒いの載せてくれないと寒くて仕方ねーだろ」

と文字が並んでいくのを待ち構えているような
真っ白なパソコンの作業ウィンドウをにらみながら、
うんうんうなっていると、

「この前、守株って言葉を辞書で調べたの
 忘れちゃいねえだろ。習慣にとらわれて、
 何もできなくなっちまうのはバカだって
 言ってたじゃねえか。関係あるようなないような
 微妙なネタをひねり出すなんてえ、まどろっこしいこと
 してねえで、どこがつまらなかったとか、オモロかったとか、
 ズバッとそのまま感じた気分を書きゃ済むんじゃねえのかい」

って声が聞こえてきたような気がして、
でもそれは聞こえたんじゃなくて、
キーボードで言葉を入力し始めてから、
勝手に指が動き出して、
きっと正確にはそんな話し方はしないんだろうけど、
ここにある脳みその中ではそれが江戸っ子弁だと
信じられているような口調で
次々にセリフが表示されていったわけで。
なので今回はこれでいいことにします。

で、この『本所おけら長屋(二十)』。

影響を受けた江戸っ子弁がときどき漏れ出るようです。

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2025年10月28日火曜日

『悪人すぎて憎めない』(クイーム・マクドネル)読みました。


ということで「バランス」の話。

仕事でよく、電気についての原稿をつくります。
いろんなものを動かしてくれ、
今もこのパソコン画面を見せてくれていてる電気は、
つくるのと、使うのと、が同じ量になってないと
ダメらしいんです。

発電所から出てる送電線のその先につながってるのが
もしこのパソコン1台(使う電気は1)だけだったとして
それなのに原子力とかで100の電気を
流しちゃったらって感じかな。

1と100は極端だけど、
その違いがもっとわずかでも、目に見えない電気は、
つくる量 ≠ 使う量だとヘンテコな酩酊状態になり、
つながってる一帯が停電しちゃうんだとか。

だから、発電所の人たちは、
どんだけの人がエアコン使って掃除機かけて
ドライヤーで髪乾かして機械動かしてみたいのを
逐一予想して、瞬間瞬間で電気つくる量を調整し、
使う分とのバランスをとっている模様です。

で、この『悪人すぎて憎めない』。

面白い比喩をごってり盛って
ちょっとお腹いっぱいな表現が多いなと感じていたら、
後半からそうではなくなって
バランス的にはちょうどよくなっていきました。

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2025年10月23日木曜日

『ボタニストの殺人(下)』(M・W・クレイヴン)読みました。


ということで、
今も正確には理解していない「コク」の話。

「おいしい」はわかります。
まずくないもの。
もう十分老齢なのにいつまでもお子様の味覚なので、
ハンバーグ、スパゲティ、オムライスなどが
「おいしい」です。それはわかります。

でも「コク」ってのがわからない。
辞書には「濃厚なうまみ」って載っていたけど、
それは「すごくおいしい」と一緒じゃないのか。
一緒じゃないんだそうです。

前に友だちにそんな質問をしたとき、
2種類の日本酒を飲まされ、
1つはおいしいけれどコクがない、
もう1つは味は落ちるけどコクがあるだろ、
と教えられたんですが、
具体例出されてもわかりませんでした。

で、この『ボタニストの殺人(下)』。

どっかの書評で、スピード感のある展開で
めっぽう面白いんだけど、その分コクがないと言ってました。
そう言われると、なんとなくわかるような気がして不思議。
ほんでもって、めっぽう面白いのも本当。

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2025年10月21日火曜日

『ボタニストの殺人(上)』(M・W・クレイヴン)読みました。


これを書いているのは2025年9月22日で、
きのう21日の読了からさほど時間はたっていないので、
脳みその興奮はまだ冷めておらず、
出来上がりほかほかな状態ではあるんですが、

そういうときこそ、その興奮がこの本のどんなところから
どんなふうに生まれたのかといった解説などはせずに、
いつも通り脇道にそれるのが、
へそ曲がりな人間の王道なんじゃないかと、いうことで、

いや、ちょっと待って。
そもそもへそ曲がりっていうのは
王道を行かない人のこというのであって、
何行か前に出てきた「脇道」の通行が当たり前だから、
脇道こそ王道だろう、なんていっちゃうと語義矛盾はなはだしく、
だんだん何を言っているのかわらぬエントロピーになってるうちに、

これだけ文字を埋めてしまったのだから、
そのまま突っ走ればいいじゃんか。
と、左肩に乗っているミニデビル君はささやくのだけれど、
今まで意識から離れ、
勝手にキーボード上を踊っていた気がする我が10本指は、
(右と左の人差し指だけを使う高速2本打法は少し前に卒業し、
 今はなんとか全員参加型に移行できています)
年齢とともに有効活動時間が短くなっているマイジョニーのように、
へなへなしてきたようなので、このへんにしときます。

で、この『ボタニストの殺人(上)』。

まだ下巻もあるんですが、おもろくて、興奮しちゃって、
意味不明な感想文もどきになってしまいました。
すいみません。睡眠じゃありません。

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2025年10月16日木曜日

『本所おけら長屋(十九)』(畠山健二)読みました。


1日に3回ある読書時間のうちの1つ
お弁当を食べながらページをめくる昼休みには、
本を閉じた後にももう一つのお楽しみがあります。

シエスタ。そんな洒落ていうことないな昼寝です。

夜の寝床での読書と同じように、
この明るい時間でも、文字を長く追い続けていると、
まぶたが重くなってきちゃうんです。

そのまま気力で
無理やり目を開けておくことも可能だけれど、
でもそれだと、
午後の仕事がはかどらないってのは、十分経験済み。

なので、いつも15分だけ机の下に潜り込んで、
夢の世界に逃げ込むようにしています。

目を閉じる前には、
キッチンタイマーのスタートボタンを押し、
気がついたら夜になってたなんて事態にならないよう、
ピロピロ鳴る目覚ましを用意しときます。

それでも、もうちょい長く眠りたいなんてときもあり、
それほど変わりはないんだけれど、
眠り始める前に、目を閉じて100秒数えてから
タイマーを作動させるっていうちょっいズルをやったりします。
…あ、この話題こんな長く書くつもりじゃなかったのに。

で、この『本所おけら長屋(十九)』。

いつも通り、面白かったです。
いつも通り、本の内容とはまったく関係ない話ですみません。

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2025年10月9日木曜日

『了巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


紹介する書籍の内容とは関係がないような、
でもたまにはあるような、感想文ではないような、
でも本を読んだからというとっかかりがあって
書くのだから「面白かったです」や
「好みとは違ってました」程度の感想もどきを
付けるようには気をつけているいつもの体裁。

それを今回ばかりは違った形にしようと思い、
文章の始まりから、上に書いた作品の内容に触れて、
なんやかんやとつづっていこうと心に決めて
キーボードを打ち出したはずなのに、
もうずいぶんと初心から離れてるどうでもいい
言い訳的ぐだぐだで文字を埋めてしまい、

どうするよ、
このままだといつものパターンになっちゃうぜと、
今、目の前で「A」とか「H」とか
「スペース」とか「英数」とか「改行」とかの
ボタンが並んでいる薄っぺらの板の上で
動いている5本指に言い聞かせているんだけど、

すでにもうこんなに書いちゃったから、
今さら、普通の読書レビューに近づけようと
軌道修正しても、やはり変わらないじゃないかと、
思い至りました。
なので、毎度の「で、この『作品名』。」のあとを
少しだけ長して、ごまかそうかと。

で、この『了巷説百物語』。

エクセルの読了シートをたぐったみたら、
最初に読み終えたのは去年の9月でした。
これを書いているのは、そのちょうど1年後。
その間にシリーズ前6作を再読し、ここにたどりつきました。
この最終巻、前6作品の記憶が新しいうちにこなしてみると、
ずごさ倍増、いや5倍増くらいに感じられます。やってみて。

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2025年10月7日火曜日

『本所おけら長屋(十八)』(畠山健二)読みました。


自分で原稿をつくるのはいつもの仕事なんですが、
そのほかにも、ライターさんの書いた文章や
提供されたテキストをチェックするのも
日常的にやってます。

前に、仲間に頼んだ分があがってきて、
それに目を通したあと
「ちょっとあせって仕上げた感じだね」
と感想を言ったことがありました。

すると彼は
「えっ、やっぱ、ばれちゃったか」
と頭をかきました。

読みやすくそれなにりまとまりのある内容になっていても、
どこがどうってわけじゃないんですが、
自分でもはっきりとは示せない文字の並びの端々に、
もやもやした違和感みたいのが、
ぼんやりとまとわりついているように感じちゃったんです。

それをピンポイントで「ここだ」と
指摘できるようになりたいけれど、
なかなかなれません。

で、この『本所おけら長屋(十八)』。

読みやすくそれなりにまとまり、面白いけど、
今回は、読んでる途中もやもやした何かが
ちょぴり滲み出てたような気がします。

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2025年10月2日木曜日

『君のクイズ』(小川哲)読みました


どんでん返しされるのは、
びっくりさせてくれるから面白いんですが、
ときには諸手を挙げて歓迎するのにはちょっと
抵抗があるのもたまに目にします(主に後述の②)。

それとは逆にまったく抵抗なしの
両手あげっぱなしでスタンディングオベーション
できるものもある(主に後述の①)。
その拍手パチパチ物語の代表例は、
(あくまでぼくの貧弱な記憶内の作品中ですが)
昔の映画の『スティング』でしょうか。

どんでんというからには、
表と裏があって、それがひっくり返る状況。

表ってのは、よきこと。
満面の笑顔で暮らせていたり、楽しい仲間がたくさんいたり、
花畑をるんるんでスキップしていたり。
裏はその反対で、よくないこと。
死んじゃったり、大切なものを奪われちゃったり、
苦しい状況にはまり込んだり。

この表裏を使うどんでんには2つのパターンが考えらます。
①(裏→表)
物語の中で、いろんなことがあったけど、結局死んじゃいました。
どんでん。生きてました。
②(表→裏)
物語の中で、いろんなことがあったけど、結局幸せに暮らせました。
どんでん。幸せは勘違いで、すぐ死んじゃいました。

で、この『君のクイズ』。

面白かったけど、最後だけ少し抵抗ありました。

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