2011年12月19日月曜日

『仮面の告白』(三島由紀夫)読みました。

ふだん、身体のパーツってのは意識しないものです。

呼吸しているときには、重要パーツの肺が勝手に動いてくれて、
もっと重要な心臓なんて、
自分でドキドキの回数を制御しようと思ってもできやしない。

後ろで物音がすれば、
自然にクビが回って、物音のした方向を確認しようとするし、
歩くときや走るときには、
意識しなくても左右の足が交互に前に出ていきます。

でも。
この意識しないそれぞれのパーツを、意識するときがあります。
それは、パーツに何かの不具合があったとき。
つまり、病気とか怪我とかです。

かぜをひいたら、
今までそこにあることさえ
知らないでいたようなノドの奥のほうが痛くなって、
「自分にはそんなパーツがあったんだ」って気づく。

利き手じゃない左手の薬指にちょっとした怪我をして、
そんなに使わない指だからと高をくくっていたら、
とんでもなく不便になる。

ぼくはぜんそくの持病があるんだけど、
発作のときには気管支や肺の形がわかるくらい、
そのパーツに負荷が掛かっているのを感じます。

って考えると、
身体のことなんかどこも意識しないで、
のほほんと動いたり、
生活できたりする状態を「健康」って呼ぶのかな、
と思ったりします。

で、この『仮面の告白』。

ふつう本を読むと、
「あーつまらない」とか、
「うわっ、オモロイ!」とか、
「うぇーん、ひっく、ひく(泣いているってこと)」とか、
なんらかの感情が生じます。

つまらないなら、つまらないなりの
面白いなら面白いなりの、反応があるもんです。

でも、この本、
たぶんぼくだけだと思うんですが、
何の反応もなかったんです。

つまらなくもなく、
面白いとも思わず、
なんというかとってもニュートラル。

たとえは悪いけど、馬耳東風って感じです。
文字を目で追って、物語の流れの中にはいるんだけど、ただそれだけ。
自分が何も意識しないで、のほほんといるだけ。
この状態ってもしかしたら「健康」って呼ぶのかもしれません。

仮面の告白 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社
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2011年12月15日木曜日

『ギヴァー 記憶を注ぐ者』(ロイス・ローリー)読みました。

小学生のとき、
ガキどもだけで校庭の隅に集まり、
「お前、誰が好きなんだよ」大会を
やった覚えがあります。

十数人で円陣を組んで、
一人ひとり自分が好きな女の子の名前を言っていき、
そのたびに「ひゅーひゅー」とか声を掛ける。
たしかジャンケンで負けた順に、
想いの人の名を告げて、
その順番に恥ずかしがって
ほほを赤くしていくって遊びです。

でもその遊び、やる前はどきどきで
すっごく面白そうに思えたんだけど、
実際やってみると、そんなに楽しくなかった。

だって、ほとんどのガキどもが、
みんな同じ女の子の名前しか言わないんです。
学級委員で、勉強が良くできて、色白で可愛い、憧れのあの子の名前。
んで、ぼく的にはその子よりも、
日焼けしたそばかす顔でいっつも走り回っている
おてんばさんが良かった。
だけど、その告白大会では、口に出しません。

小心者のぼくは、
小学生のときにはもっと小心者だったので、
みんなと同じことしか言えないんです。
長いものには積極的に身をゆだねて巻かれ、
いつも大樹の陰だけに身を寄せています。

だから、その場ではぼくも学級委員ちゃんを、
自分の好きな子の名として発表しました。
「ホントは違うよ」と心の中でアカンベーしながら。

で、この『ギヴァー 記憶を注ぐ者』。

ネットでとっても評判が高かったので、
それにつられて読んだ本です。
最初に見たのはツイッターで、
ほかも見てみよってアマゾンとかもチェックしたら、
どれもみんな好評価。
これはちょっと、押さえておかないといけないでしょ、
って買ったんですが……うーん。

この本は、面白かったです!
そしてぼくは、小心者です。


ギヴァー 記憶を注ぐ者
ロイス ローリー
新評論
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2011年12月12日月曜日

『ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔』(京極夏彦)読みました。

前にも言ったと思いますが、
ぼくはだいたいその月の初めの頃に
10冊足らずの本を買い、
約1カ月かけてそれらの本を読み進めます。

読書の場所は3カ所です。
昼休みの会社、帰宅途中のバスの中、就寝前の寝床。
読みかけの本はそれぞれ、
会社にある棚、通勤用のリュックサック、ベッドの上に
ストックされています。

さて、ここで問題になるのが、
どの本をどこに割り振るかです。

面白くてやめられなくなる本を会社に置くと、
仕事に支障をきたします。
ホラーなんかを寝床で読むと、怖くて眠れなくなっちゃう。
分厚くて重たい本をリュックサックに入れると、
ランニング通勤がとてもつらい。
そんないろんな要素を考慮しつつ、
楽しい選別作業をしていくのです。

で、この『ルー=ガルー2』。
読書の場所は帰宅途中のバスになりました。

なぜ、この場所になったのかを消去法的に説明しましょう。
まず、就寝前の寝床。
ここには、ほかの積ん読本がたくさんおいてあったので、
一刻も早く読みたい京極さんの本には向きませんでした。
次に会社。
ぼくは京極さんのファンで、前作も読んでいて、
この本も、とっても面白いだろうってことは予想がついていました。
だから、会社に置いておくのは、
仕事が滞るので危険なんです。
よって、会社はダメ。

そうして残ったのがバスの中でした。
でも、この本、分厚いんです。がさばるんです。
それに普通の文庫本なんかに比べると重たいんです。
それを約5キロのランニング通勤時に、
リュックに入れて持ち運ばなきゃいけない。
その覚悟ができていないと、読めないんです。
それでもし、とんでもない駄作だったら、
とんでもない徒労感が襲ってくる。

でもね。大丈夫でした。
苦労して会社と自宅の間を往復させても、
応えてくれるだけの面白さ、ありました。
やっぱ、面白い作品を堪能するには、
それなりの努力が必要ってこよなんですよ、きっと。



※読んだのは新書サイズのノベルスだったんですが、
なぜか、新書版はアマゾンの画像リンクが上手くできないので、
単行本版を載せておきます。
ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔
京極 夏彦
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2011年12月7日水曜日

『河内源氏』(元木 泰雄)読みました。

この本にたどり着くまでの経緯は、
高村薫『太陽を曳く馬』→『<マンガ>正法眼蔵入門』→
『現代文訳 正法眼蔵』→立松和平『道元禅師』でした。
ぜんぜん理解できなかった道元さんの
正法眼蔵にひっぱられて、なぜか源氏です。

道元さんの人生を描いた立松さんの小説で、
そもそも正法眼蔵が書かれたのが
鎌倉時代だってことを知り、
それじゃあ、いい国つくろう鎌倉幕府の源頼朝か、
んじゃあ源氏だって思っていたところに、
新聞の書評かなにかで、源氏のことを知りたいなら、
この『河内源氏』を読みなさい、
みたいなことが書かれてあって、
よしこれだと思ったのが、きっかけでした。

でもね。確かに源頼朝は、
河内源氏という一族みたいなんだけど、
この本は、頼朝が出てくるまでの、
その親とかお爺さんとか3代前とか、
そんな人たちの紹介がメインで、
本の最後のほうでやっと、
「周知のようにこの後、頼朝が鎌倉幕府をつくることになる」
みたいなとこでしめられてる。

だから、
道元さんの生きた時代のことを理解しようと思っても、
その部分は触れてなかったんです。

なんとまあ、道元さん。
道元さんはぼくにとって、
簡単にはたどり着いちゃいけない難物ってことなんでしょうね。

とはいえ、この本、勉強になります。
ほかの学者の説を、
けちょんけちょんに言っている部分がたまにあって、
それが、なんかイヤなんですけど、
それ以外は面白い。

時代物を書いている小説家の人たちは、
きっとこういう本を読んで、刺激を受けて、
「今度、この人をテーマにしよ!」とか思うんだろうな。


河内源氏 - 頼朝を生んだ武士本流 (中公新書)
元木 泰雄
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2011年12月5日月曜日

『伝わる! 文章力が身につく本』(小笠原信之)読みました。

パソコンの解説書をつくるとき、
ホントはそんなに力を入れなくてもよいはずなのに、
なぜか力んでつくちゃうのが作例です。

パソコン解説書というと、
操作しているトコの画面ショットに引出線を引き、
「ここをクリック」みたいな説明文で構成するのが大半です。
へたすると、十数ページつくり終わって、
入力したテキストを見直したとき、
書いた文字が「ここをクリック」だけだった
ってこともあります。

もちろん、どこをクリックするのか、
それをキチンと指示するのにとても神経を使うんですが、
それって、あまりクリエイティブな作業じゃない気がしてきて、
それならば、ってことで、
作例を載せる画面ショットのほうで
欲求不満を解消しようかな、
なんてアホなこと考えちゃうんです。

文章作成ソフトの解説書なら、
「ここをクリック」とかの引出線の後ろに隠れている文章を
泣かせる物語にしちゃったり、
画像編集ソフトの解説本では、
ライティングなんかを懲りに凝った芸術チックな写真を撮り、
それを作例にしちゃうとか。
表計算ソフトだと、
学校の成績表の集計を作例にして、
今まで勉強ができなかった子どもが
徐々に成績が上がっていくような裏ストーリーを加えたり。

これ、内輪ウケなのかもしれないけど、結構評判いいんです。

で、この『伝わる! 文章力が身につく本』。
うんうん、そうだよね。
正しい文章って、そんなふうに書くべきだよね
って教えてくれる本でした。
でも、そんなこと求めるほうが悪いんだけど、
作例が面白くありませんでした。
作成がつまらないほうが「伝わる!」のかもしれません。

伝わる!文章力が身につく本
小笠原 信之
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2011年12月1日木曜日

『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』(福島文二郎)読みました。

3つのタイトルを同時発売する
シリーズ本の中の1冊をつくったときのこと。
どれが一番売れるかな、なんて、
競馬の予想みたいなことをしました。

それぞれの中身をざっくり読んで、
「完成度からすると、一番はAかな、次はB……やっぱ、
Cはちょっと雑につくりすぎているから売れないだろう」。

んで、ぼくのつくったのはBです。
一番売れるなんて、おこがましいことは言いません。
でも本心は当然一番と思ってたんですけどね。

そして発売。
フタを空けてみると、Cが断トツの売れ行きでした。
図版の位置が間違っていたり、誤植があったり、
すんなり意味の通らない文章が
あったりした「C」だったんです。

なんでだろうって考えました。
行き着いた答えは、タイトルでした。
ターゲットにした読者層に一番響く本の題名が、
「C」だったんです。
(それぞれがどんなタイトルだったかは、
いろいろと支障があるので、内緒)

んで、
『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』。
とっても売れているみたいです。
この本のタイトルっていいです。うまい。
売れる本って、こういう本なんですね。

9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方
福島 文二郎
中経出版
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2011年11月30日水曜日

『幽霊人命救助隊』(高野 和明)読みました。

処理に困っている産業廃棄物を有効利用して、
新たな製品をつくる会社に取材したことがあります。

ぼくは、その話を聞いて、
とても世の中の役に立つことだから、
みんな大賛成で、事業はスムーズに進むものだと思い、
取材中「へえーすごいですね!」
「みんな喜びますよ!」
みたいな反応を繰り返していたんです。

すると、その会社の人は、
ぼくのことをたしなめました。

「自分たちがいいと思っていることでも、
悪いと感じる人は必ずいます。
悪いとまではいわなくても、
ある人たちにとって都合が良くない場合はたくさんある。
みんなが諸手を挙げて、
“それいい!”と言ってくれることのほうが少ない。
というより、みんなが賛成するものなんて、
現実には、ないのかもしれません」

うん。この人すごいなって思いました。
普通、こんな取材のときは、
「自分のやっていることは間違いない。
ねっ、素晴らしいでしょう」って言い張るのに、
この人は違う。誠実なんだな、きっと。

一つの側面だけ見て、物事を判断すると、
間違っちゃうことがある。
でも、まったくモレのないように、
全部の側面を検討することもできない。
だから、自分が絶対とは言い切れないんだよと
教えてくれた気がしました。

とはいえ──。
文章書いたり、物語つくったりするときには、
決め打ちで進めなきゃいけない場面もあります。
取材してきた範囲の中で断定しなきゃいけないことも、
自分の中にある知識だけでキーボードを
ペコペコ打たなきゃいけないときもあります。
特定の側面だけを覗いて書いた文章ですね。
んで、そんな文章を、反対の側面の事情通が読むと、
とっても浅く感じちゃう。

まあ、浅く感じさせないように、
手を変え品を変え、見え方を工夫するのが、
ぼくの仕事なんでけどね。

で、この『幽霊人命救助隊』。

申し訳ないんですが、浅く感じてしまいました。
物語を裏付ける特定の側面の物事に対して、
ぼくがたまたま知っていた反対の側面の事情みたいなものが
見え隠れしてしまったんです。
ぼくはいい読者じゃあ、ありません。
だって物語は、決してつまらなくはないんですから。

幽霊人命救助隊 (文春文庫)
高野 和明
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2011年11月28日月曜日

『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(山田奨治)読みました。

話題になっているホームページの
紹介記事をつくっていたことがあります。
たしか雑誌に載せる記事でした。

紹介するホームページを閲覧して
文章で概要をまとめ、
写真スペースには画面ショットを
載せるって体裁です。

こういう記事をつくるときには、
そのホームページを公開している個人なり企業なりに、
事前に「雑誌に紹介記事を載せてもいいでしょうか」って
お伺いをたてます。いわゆる許諾ですね。
文章だけの紹介記事なら問題はないと思うんですが、
画面ショットを載せるとなると、
ホームページ制作者の作品を
そのまま載せることになるので、
やっぱ許可が必要になるんです。

その仕事をしているとき、
「おっ、やるな」と思ったホームページがありました。
どんなページだったか、内容はすっかり忘れちゃったんですが、
覚えているのは、
「許諾するな」みたいなことが書かれてあった点です。

人気のあるホームページで、
リンクをはりたいとか、紹介記事を書きたいとか、
そんな申し込みが、きっとたくさんあったんでしょう。
その申し込みにいちいち対応してるのが
面倒だったのかもしれません。

そのページに書かれてあったのは、
「リンクしようが、紹介しようが、
画面ショットを載せようが、まったくOK」って内容でした。

さらには、文章も画像も勝手にコピーしてもいいし、
作者の名前も出しても出さなくても何でも結構と。
もうひとつさらに、許諾のメールなんか送ってきたら、
そんなヤツには許諾しないので、
何も言わずに勝手に使うヤツだけに、使わせてやる、
ってなことまで書かれていました。

ぼくも基本的には、
このホームページ作者と同じような考えを持っています。
ぼくが個人的につくった文章やイラストなんかは、
誰がどう使おうがOKです……って、使いたい人はいないか。

んで、一回でいいから、
著作権の縛りがない世界にならないかなぁなんて思ってたんです。

で、この『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』。
ぼくみたいな考えは、あながち間違いじゃないかも、
って感じさせてくれました。

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか
山田 奨治
人文書院
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2011年11月16日水曜日

『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ)読みました。

本をつくる仕事をしていると、
仕事とは関係なく普通に読書しているときにも、
ヘンなところで疑問を感じてしまうことがあります。

例えば、難しい漢字につける読み仮名のルビ。
同じ単語なのに今読んだところはルビが振ってあって、
その5行後にはついてない。
そんなときは「紙面がうるさくなるから、
初出の部分だけルビを振って、
そのあとは付けないようにしているんだな」なんて、
内容とは関係ないことを考えてしまいます。
と、自分勝手に判断して読み進めていると、
その30ページくらい後で、また同じ単語にルビがある。
そうなると
「あれ? またルビが振ってある。
初出だけに付けるルールじゃなかったの」
と、これまた本の内容とは関係ないトコに
疑問を感じてしまう。

そんな細かなことが気になり出すと、
本の内容理解がとてもおぼつかなくなってしまいます。
ちなみに、今いったルビの件は、
その後、ベテランの校正者さんに聞いたところ、
「30ページ間が空いたら再度ルビを振る」
ってルールもあるようで、
そのルールは出版社独自のものや、
著者または編集者の好みだけの問題もあり、
統一された決まり事はないってことでした。

で、この『華氏451度』。

ぼくが本をつくるときには、たいてい漢字を使う場面で、
ひらがなが使われていたり、
難しい漢字がルビもなく、そのまま使われていたり
──そんな内容とは関係ないトコが
やたら気になっちゃった本でした。

内容がぼく仕様で、ぐいぐい行ってくれる本だと、
そんなこんまいトコは気にならないんですけどね。
つまり物語とか語り口とかが、
ぼく仕様ではなかったようですね、この本。


華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)
レイ ブラッドベリ
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2011年11月14日月曜日

早見和真『ひゃくはち』読みました。

「もう、彼女に電話するのも
なんだか面倒になってきて、
このまま自然消滅でいいかなって思ってる」
と友だちのセリフを聞いたぼくが、
「なんだよ、それ!
別れるか付き合うか、はっきりさせろよ!」
と怒鳴ったのは高校時代です。

おじさんになった今では、
絶対そんなこと言いません。
今なら「それがいいかもね」なんて、
へなへなな答えしか返さないでしょう、きっと。
でもそれは、投げやりになっているワケじゃなく
ホントに「それがいいかも」って思うからです。

高校時代には、自分のことじゃないのに
許せなかったどっちつかずの態度が、
おじさんになるまでに覚えてきた
「宙ぶらりんもそれなりに味がある」という真実に
照らされることで、
許せない→それがいいかも、
に変化してしまったんです。

で、この『ひゃくはち』。

読んでいる最中、
ぼくの頭の中がすっかり入れ替わったような気がしました。
今は、ふにゃふにゃになっているおじさん頭が、
かつての、がちがち頭に戻っているって感じです。

今、冒頭のセリフを誰かに言われたら、
あと1週間くらいは、
「別れるか付き合うか、はっきりさせろよ!」
と怒鳴ります。1週間後にはまた戻りますけど。

ひゃくはち (集英社文庫)
早見 和真
集英社 (2011-06-28)
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2011年11月9日水曜日

『サンクチュアリ』(フォークナー)読みました。

会社で一緒に働いている仲間のカンちゃんは、
とんでもなく映画好きです。
おそらく一年間で観る映画の本数は、
一年間の日数と同じくらになると思われます。

そのカンちゃんが、いつも言っているのは
「映画はエンターテインメントじゃないとダメ。
芸術とかいって、すました作品は、本当につまらない。
だって、ゴダールだって、フェリーニだって、
あれエンターテインメントでしょ」。

うん、そうです。映画って娯楽なんです。

んで、ぼくも、小説をカンちゃんと同じように考えています。
小説って、やっぱ楽しませてくれないとヤです。
それどころか小説だけじゃなくて、
本は全部エンターテインメントじゃないと
いけないんじゃないかなって思ってます。

おっと!
よく考えてみたら、
エンターテインメントがどうのこうのって、
この『サンクチュアリ』とは関係ない話でした。
でもここまで書いちゃったから、とりあえずこじつけます。

たぶん、この『サンクチュアリ』は、
カンちゃんがゴダールをエンターテインメントと呼ぶように、
読む人が読むときちんと娯楽になっているんだと思います。

でも……ぼくには、そう思えなかった。
たぶん修業が足りないんです。

サンクチュアリ (新潮文庫)
フォークナー
新潮社
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2011年11月7日月曜日

『天使と宇宙船』(フレドリック・ブラウン)読みました。

中学生のとき、ホントにむさぼるように読んでいた
星新一さんのショートショート。
今考えると何が良かったのか、
よく思い出せないですけど、とにかく読んでました。

たぶん、読解力と記憶力が普通の人より少ないぼくなので、
あの短さがフィットしたんでしょうね。
わからなくなっても、ページをめくってすぐ読み返せるし、
短いからどこに書いてあったか探す必要もない。
最初から読み返しても、手間にはなりません。
ストーリーの途中経過を忘れちゃえるほどの長さはないので、
トリ頭でも大丈夫。
ぼく用にあつらえてくれたような小説ジャンルです。

その影響を受けて、
中学校の卒業文集にショートショートを書いて、
何を勘違いしたか、その作品が先生にほめられて、
いい気になって、将来は本をつくる仕事に就きたい
なんて思ったってことは、前にも書きました。

その星新一さんの本の中に、
ショートショートを書き始めたきっかけみたいなことが
書いてある文章があったんです。
どの本のどの場所かも定かではないんですが……
もしかしたらぼくの記憶の中だけにあるものかもしれません。

そこには、
「アメリカではショートショートが流行っていて、
文学としても認められている。
自分もそれに習って書いてみようとしたのが、
そもそもの始まりだった」
みたいなことが、記してありました。ような気がします。

で、この『天使と宇宙船』。

ネットで、好評価の感想を見かけただけで、
何の予備知識もなく買ってしまったのですが、
これぞまさしく、
今は亡き星新一さんが言っていた(とぼくが思っている)
アメリカで流行ったショートショート集でした。

そうか、星新一さんは、こういう本に影響されたんだ。
そんで、ぼくは、その星新一さんの影響を受けて、
今、本をつくる仕事をしているんだ。
時代はめぐるってことですね。


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2011年11月1日火曜日

「うぐっ」てくること。

『下町ロケット』(池井戸 潤)読みました。

何の前触れもなく、「うぐっ」って、
なんかが突き上げてきて、
これって涙だと気づき、
いかんいかん、こんなトコで、
いい年したおじさんが泣いてはいかん、
と身体が自然に反応して、
必至で涙腺を引き締めるってこと、
ぼくは週のうち何回かあります。

こう書いて、思い出したのが、
娘と一緒に彼女の高校入試の
合格発表を見に行ったときのこと。

本当は互いに緊張しているのに、
緊張なんかしてないよ、
普段通りなんだからって感じを装って、
2人で電車に乗って向かった高校。
駅から高校までの道のりも、
「こんなとこまで通ったら大変だなぁ」なんて、
もう合格は決まっているようなセリフを
わざと言ったりしながら校門をくぐって、
人だかりができている掲示板の前に。

受験番号を聞いていなかったぼくは、
その人だかりの後ろのほうにいて、
泣いちゃっている子やそれを慰める子、
「やったー!」とでかい声で
叫んでいるぼくよりきっと年上の
オヤジさんの姿なんかを、ぼんやり眺めながら、
ああ絵に描いたような合格発表の様子だな、
なんて考えていました。

そんなとぼけたこと考えているぼくに、
娘が駆け寄ってきて「あった!」と言ったんです。

まさに、この瞬間でした。
「うぐっ」って、なんかが突き上げてきたのは。
そんなものがくるとは、予想もしてなかったんですけどね。

で、この『下町ロケット』。

読書中、18回ほど「うぐっ」ってきました。
さわやかですよ、この本。



下町ロケット
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2011年10月25日火曜日

密度が濃い時、薄い時、まだらが常態。

『ふがいない僕は空を見た』(窪 美澄)読みました。

仕事で1冊の本をつくるとき、
長いものでは半年から1年、普通だと2〜3カ月、
特急仕上げで1カ月くらいの期間がかかっています。

そこから考えると、
新規の受注は3カ月に1回程度の割合でもらえると、
ちょうどよくクルクル回転させられる
ってことになるようです。

でも、なぜだか世の中はそう上手くできていません。
どこかで聞いたセリフなんですが
「うち仕事は、死ぬほどヒマか、
死ぬほど忙しいか、どちらかだ」。
なかなか均一ってのはむずかしく、
社会のデフォルトは「まだら」のようです。

少し前も、4冊同時に声が掛かったことがありました。
朝、メールをチェックしたら、2件の新規案件が入っていて、
「うわー今日はなんかスゴっ」て思っていたら、
お昼ごはんを食べる前に、
とってもご無沙汰している人から、
「こんな本つくらない?」って電話。
ひょっとして示し合わせているのかって
聞いちゃったほどです。

そんで、ふーっと一息ついて午後、
さあー続き続きと、ぺこぺこキーボードを打って
2時間くらいたってやっと調子に乗ってきたころ、
今度は初めて電話しましたという会社の人から、本づくりの依頼。
なんでこんなに重なるんでしょう。

で、この『ふがいない僕は空を見た』。

とっても良かったです。5つ星!
今年は後半になるまで、良い本に出会わないなと思っていたら、
つい先日の『ジェノサイド』といい
『虚言少年』といい『空色バトン』といい、
立て続けに5つ星の嬉しい出会い。

もっと均等にばらけてもいいと思うんですが、
時期って重なるモンなんですね。
社会のデフォルト「まだら」は、
ぼく個人にも適用されているようです。


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2011年10月20日木曜日

もし弟子が天才だったら。

『根津権現裏』(藤澤清造)読みました。

まず、Wikipediaに載っていた
15世紀の画家についての解説を引用しちゃいます。

『アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio,
1435年頃フィレンツェ - 1488年ヴェネツィア)は、
イタリア・フィレンツェで工房を構えた
ルネサンス期の彫刻家・画家・建築家。
レオナルド・ダ・ヴィンチの師であったが、
年若い彼が描いた絵を見て、その見事さに驚愕し
その後絵を描かなくなったと伝えられている』

昔、レオナルド・ダ・ヴィンチのことを
記事に書いたことがあって、
そのときこの師匠のことを知りました。
才能を持った弟子が、
師匠をらくらく越えちゃうってことは、
世の中にはままあるんだなって感心して、
ぼんやり覚えていたんです。

で、この『根津権現裏』。

最近芥川賞をとった西村賢太さんって作家が、
昭和初期に亡くなり、
その後ほとんど世に知られることのなかった
藤澤清造さんて人を、もう一度見直して欲しいと、
出版社にかけあって、復刻された本だそうです。

西村賢太さんは、
藤澤清造さんの没後弟子を自称していて、
人生が変わるほどの相当な影響を受けたっていってます。

ぼくがこの『根津権現裏』を読んだのは、
この西村賢太さんの本が面白かったから。
芥川賞をとった『苦役列車』です。
こんなおもろい小説のバックボーンになっている、
いわばネタ元は、ぜひ押さえておきたいと手に取ったんです。

でも、でも。ううーん……ダメでした。
申し訳ないんですけど、途中で飽きてきちゃった。
没後弟子の西村さんの作品のほうが、
ぜんぜん上だなって思っちゃったんです。

そこで思い出したのが、
レオナルド・ダ・ヴィンチとその師匠の関係。
西村賢太さんが、藤澤清造さんのいる時代に
もし弟子入りしていたとしたら、どうだったろうかな、
なんてつまらぬ想像をしてしまいました、とさ。


根津権現裏 (新潮文庫)
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