2018年7月5日木曜日

『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


何年か前に
高田郁さんの「みをつくし料理帖」の
最初の巻を読んだとき、
(たぶん今は10巻以上シリーズで出ていて、
 そのときはまだ2、3巻しか
 刊行されていない時期でした)
涙が止まらなくなって、
しゃくりあげるほどになりながら
ページをめくっていたことがあります。

(……やっぱ、正確なタイトル調べますね。
 あ、そうそう『八朔の雪』でした。
 あれ? ウキペディアには全10巻って書いてある
 ……そうか、なら、もうちょいだったんだ)

そのあと、2巻、3巻も調子よく、
涙と鼻水をすすりながら読み進め、
6巻か7巻くらい来たところで、なぜか突然、
「もういいか」って思っちゃったんです。

なんででしょ。
面白くないわけじゃないんですよ。
泣けもするんですよ。
飽きちゃったということでしょうか。

自分でも意識してないのに、
飽きちゃうことあるんですかね。

でも今、ネットで調べて全10巻と知り、
それならもう少しで全話読破なんだから、
また手をつけてみようか
みたいな誘惑がわいてきました。

とはいえ最初の話はもう忘れてるので、
やるとしても1巻から再読しないとな。
そしたら、また途中で飽きちゃうかな。

で、この『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』。

シリーズ5巻目くらい……かな。
面白かったは面白かった。
でもなぜか次に向かう触手の動きが
鈍くなってきたようです。





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2018年7月3日火曜日

『柳家小三治の落語(5)』(柳家小三治)読みました。


高校生のときに
テストをするから暗記しろと言われて、
部活のトレーニングで
ランニングしているときも、
掛け声代わりにみんなで声を揃えて
口にしていたのが平家物語の冒頭部分です。

試験が終われば
頭の中からすっかり消え失せると
思っていたら、
なぜかそのあとも、
白いシャツにつけちゃった
ケチャップのシミみたいに、
脳みそのひだにこびりついて取れない。

何も見ないでちょっと打ち込んでみますね。
(変換はパソコン任せ。
 漢字の表記までは覚えていないので…)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
奢れる者も久しからずただ春の夜の夢のごとし。

で、ネットで検索して
答え合わせしてみると……。

あら、なんとまあ
100点といってもいいほどドンピシャ。

WikiBooksというサイトに載っていた
テキストと比べたら、

「理をあらわす」が「理をあらはす」で、
あとは読み点が一つ足りないだけ。
(「久しからず」の後に「、」)

この冒頭文のあとは一切覚えてないけど、
正確さはすごいんでないの。
自分でもびっくりしてます。

で、この『柳家小三治の落語(5)』。

噺家さんは、
どんなに長い落語も最初から最後まで
全部覚えてなきゃ仕事にならないんですよね。
平家物語の最初の2、3行を
空で言えるくらいじゃダメか。





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2018年6月28日木曜日

『教養としてのテクノロジー』(伊藤穰一)読みました。


仕事場には、
湯の温度が表示される電気ポットが
置いてあります。

水を注いでスイッチを入れ、
沸騰して100度になると、
メロディが鳴って、
お湯が沸いたことを知らせてくれます。

これで、お茶やコーヒーを入れたり、
カップラーメンをつくったりするんです。

このポットを使っていて、
最近気づいたのが、
お湯の温度とお茶の濃さの関係です。

食べ物・飲み物の味には
頓着のないぼくですが、何かの拍子に

「あれ? 茶葉の量は
 いつもと同じなのに今日のは濃いな」
と感じ、
つくったときのことを思い出してみると、
いつもと温度が違ってた。

いつもは、
ポットのメロディが鳴ってすぐ、
つまり100度で茶を入れる。

でも、そのときは、
待ちきれなくて70度とか80度の
沸かし途中に入れちゃったんです。

ぼくの飲んでる茶葉だけかもしれませんが、
100度の熱々湯のほうが、
薄くなることあるんですね。

で、この『教養としてのテクノロジー』。

入れる温度の違いでしょうか。
ちと薄く感じちゃいました。





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2018年6月26日火曜日

『鳩の撃退法(下)』(佐藤正午)読みました。


事務所にある押し入れみたいな場所には、
昔使っていたパソコンが数台眠っています。

何かしらの不具合が出て、
新しいマシンに入れ替えて、
そのままになっている。

パソコンって普通のゴミじゃ出せないから、
なんやかやの手続きをしないといけないでしょ。

それが面倒で、
ほっぽらかしになってる。

同じ場所には、古いバージョンの
アプリケーションソフトなんかの空き箱が
ずらーっと並んでいる。

今はパッケージが小さくなってたり、
カードの銀箔を削って番号だけ入手する
ダウンロード版とかになったから、
保管場所もいらなくなったけど、

ちょっと前までは、
どれもアマゾンの本の配送箱くらいのかさがあり、
それをとっておくと世界大百科事典が
揃っているくらい場所をとっちゃう。

だから、中身のCD-ROMや説明書なんかを
抜いて整理すればいいんだけど、
それもパソコンと同じに、
面倒になって、ほっぽらかしている。

でもね。
面倒でやらずにいるのは本当なんだけど、
最初は何とかしようと計画を立てたんです。

パソコンなら、万が一のため、
古い機種もしばらくはとっておき、
半年たったら業者に電話してとか。

アプリの箱なら、
段ボール紙の古紙回収の日を待って、
翌週にやろうとか。
(それを忘れて、また翌週、また翌週……)

そうやって、
ずるずるとなっているわけなんです。

で、この『鳩の撃退法(下)』。

TMIって略語が出てきました。
Too Much Informationだそうで
「書き過ぎ」を意味するらしく、
余計なことは削られているようです。

そのため、書かれなかったものが、
放って置かれているイメージがどんどん膨らんで、

事務所の押し入れの中を思い出しちゃいました。
そろそろなんとかしようかな。





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2018年6月21日木曜日

『柳家小三治の落語(4)』(柳家小三治)読みました。


誰だったか忘れたんですが、
(たしか結構有名な作家さん。
 丸山健二さんだっかな、違うな…)

著作権の守られる期間が長くなるとか
短くなるとかで、議論になっていたとき
(今もああでもないこうでもないと
 やっているみたいですが…)

そんなもの「作者が死んだら、
すぐにでも消滅していい」みたいな
発言をしていた人がいました。

死後50年でしたっけ、75年でしたっけ、
著作権は保護されて、関係ない人は、
許可なくコピーとかしちゃいけないって
ことになってるけど、
「そんなのいらない」と。

一緒に苦労してきたいわば
共同執筆者みたいな奥さんには、
自分が死んでも印税なんかが
入ってくるようにしたいけど、

子どもや孫などに、
余計な財産を回したいとは思わない。

だったら、誰でも自由に
自分の作品を使えるようにして、
ちょっとでも世の中の役に立てるほうがいい、と。

そんな意見を聞いて、
ぼくなどは「うん、潔いな」と
感心したものです。

だいたい、著作権を主張して、
「それは侵害だ」みたいに
言っている人たちって、なんか怖いし。

例えば、ジャスラックさんなんかには、
あまりお世話になりたくないって思うし。

で、この『柳家小三治の落語(4)』。

落語の著作権って、どうなんでしょうね。
気軽に真似しちゃいけないって決まりだと、
代々引き継がれていかないような
気もするんですが……。
そんな簡単なことじゃないのかな。





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2018年6月19日火曜日

『縮みゆく男』(リチャード・マシスン)読み見ました。


今、仕事の関係で
小さな虫に関する本を読んでいます。

虫なんてのは、そもそも
指でつまめるほどの大きさなんだから、
わざわざ〈小さい〉なんて形容詞を
つけなくてもいいようなもんです。

でもつけた。

だって、小さいんです、
その本に出てくる虫。

虫って言われたとき、最初に浮かぶ
イメージはゴキブリですが(ぼくだけ?)
あれは、体長数センチありますよね。

一般的な消しゴムくらいかな。
ちょい雅び方面にいって「蝶」なんかだと、
もう少し大きい感じがするので、
十数センチってとこですか。
餃子が2個くっついた程の大きさ。

でも、そこに出てくるのは、
センチじゃなく、ほとんどがミリ単位。

米粒だとかビーズだとか、
もっと小さい鼻くそや爪あかレベル。

その本を読んでいるとき、ぼくは
定規で測りながら消しゴムのカスを丸めて、
1、3、5ミリ大のタマをつくり、
その小さな3つタマをそばに置いておきました。

それを横目でチラチラ見ながら読むと、
すっごく理解が進んだんです。

で、この『縮みゆく男』。

消しゴムカス玉の立体スケールは、
この本でも役立ちました。

そばに置いて読むと、臨場感アップしまっせ。





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2018年6月14日木曜日

『柳家小三治の落語(3)』(柳家小三治)読みました。


昔は〈My name is Noriyoshi〉だった
英語の教科書が、
今は〈I am Noriyoshi〉に
なっているそうです。

ま、それはただの前振りで、
言いたかったのはぼくの名前。

「のりよし」です。

漢字だと「規悦」で、
振り仮名をつけないと、
ほとんどの人が読めません。

子どもの頃は、
「もっと格好いい名前がよかった」
なんて思ってました。

「のり」が、ふりかけとか、
おにぎりに巻き付けるものとか、
そんなイメージになって、
子どもの耳には弱そうな響きだった。

ヒデキだとかユウヤだとかジョウだとか
って名前の友だちは、
その響きの格好良さに負けず劣らず活発で、
頭も良くて、

「ぼくもそんな名前だったら、
 ゲジゲジ虫だって平気で触れるくらいの
 強い男子になっていたのになぁ」

とヒザを抱えてたんです。

で、
もう数年間に亡くなった
ぼくの親父の名前は「三治郎」でした。

さんじろう。

ぼくはその響き、
格好いいなって思ってて、今も思ってます。

ところが、生前に親父に聞いたところ、
やはり子どもの頃は、
その名前が嫌いだったそうなんです。
三治郎さん。大人になって気にならなくなり、
逆に愛嬌があると思えてきたようで。
ということで、
馴染んでいくもんなんですね、名前って。

で、この『柳家小三治の落語3』。

おこがましいけど、
ぼくの亡き父の名前と2文字同じ。
小三治さん。親近感あります。





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2018年6月12日火曜日

『宇宙に命はあるのか』(小野雅裕)読みました。


今まで、
「この本は面白かったから、
 ぜひ読んでみて」
みたいなことは
ほとんど書いていないと思うし、

本の内容も
まともに紹介してはいないと思うので、

ぼくのこの〈感想文もどき〉を読んで、
書籍購入のヒントにする人は
いないだろうと推測しています。
(だから無責任なこと書いているんです…)

ほかの人がイイって言った本が、
自分にとってイイものであるとは限らない。

そんなことは、
人それぞれだってことは、
みんな知っているはずだから、

イイと思ったら、イイと薦めて
「読んでみなよ」くらい言っても
罪にはならないと思いはします。
(だから、ごくまれに
 「オススメ!」と言ったりもする…)

まあ、うだうだ書いたけど、
結局は自分に自信がなく
他人に押しつけるような意見は言えない
ってのが、ぼくだと、
ここで改めて表明したわけでありました。
いわゆるビビリです。

で、この『宇宙に命はあるか』。

どこかの書評で
「寝食を忘れるほど夢中で読んだ」
ってことが記してあり、
つられて読みました。

ぼくは、読んでる途中食事もしたし、
いつのまにか睡眠もとってた。
人それぞれだってこと、
再認識できました。





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2018年6月7日木曜日

『鳩の撃退法(上)』(佐藤正午)読みました。


見よう見まねで物語などを
書き連ねていると、
当初の自分の目論見とは
まるで違う方向に、話が進んでいって
しまうことがあります。

登場人物に「お前なんか嫌いだ」と
言わせてケンカ別れさせようと
思っていたのに、

キーボードを叩いている指が勝手に
「大好きです」と打ち込んでいる。

「嫌い」と言われて
走って逃げていくハズの相手が、
「大好き」と言われ舞い上がって
抱きついていたりする。

おいおい、次の場面は、
海に向かって「バカヤロー」って
叫んでるシーンにしようと思ったのに、
それじゃつながらないじゃないかって、

キーボードやパソコン画面や
自分の指に向かって言ってたりする。

ありゃ、登場人物たちが
勝手に動き出しているぞ、
って思えたりするんです。

で、この『鳩の撃退法(上)』。

「小説書き始めたヤツが
 〈登場人物が勝手に動き出す〉
 なんてことをよく言ったりする」

的なこと書いてありました。
確かにこの本に出てくるキャラは、
著者が計算し尽くした上で
動き回っている感がありました。

だから、面白いんだろうな。
計算しないとね。やっぱ。





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2018年6月5日火曜日

『柳家小三治の落語(2)』(柳家小三治)読みました。


〈スマホが壊れて
「やったー!ツイッターに書くネタができた」
 と言ってる夢をみました〉

という話を、
ちょっと前、ツイッターでつぶやきました。

そして、アホな夢の内容紹介のあと、

〈無意識のうちにツイッターの更新が
 プレッシャーになっているようです〉

と付け加えました。

ぼく的には、
この付け加え部分がサゲだと思うんです。

それがないと
「だからどうした」になっちゃう。

で、この『柳家小三治の落語2』。

当たり前だけど、
落語ってサゲがあるんですね。

話が中途半端なところでも、
サゲさえあれば、終わったことにできる。

さっきの夢の話なら、
「スマホが壊れました。こりゃスマッタ」
で締められる(締まってないけど…)。

お後がよろしくないようで。





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2018年5月15日火曜日

『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー)読みました。


実は親子だったのだ!
とか、
ラストのラストになって
衝撃の事実が判明するような
物語ありますよね。

そんな物語をつくる側は、
最後に見せるべき衝撃の事実を、
ストーリーの中に隠して隠して、
それでも
(ばれないように)チラつかせながら、
ときには
(矛盾しないように)誤解させながら、
話を組み立てていくんだと思います。

ところが、
組み立ての手口がいかにもあざとくて、
最後の衝撃を受けるビックリ度よりも、
「そんな設定なんだったら、
 じらさないで早よー言ってよ」
って思っちゃうガックシ度のほうが
高い作品もある。
そういのって、
途中のじらし方が
スマートじゃないからだと思うんです。

で、この『吸血鬼ドラキュラ』

うーん、スマート。
普通の小説は、セリフ以外の地の文は
「作者が説明している」
という暗黙の了解があるけど、

「ここにある文章は、全部引用です」
ってことにすれば、
その暗黙の存在を考えさせないで済む。

ってことは
「誰かが組み立てたんだろう」
なんて邪推をしないで済む。
うまいですね。

全ページ、
ハラハラドキドキしながら読めました。





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2018年5月10日木曜日

『それまでの明日』(原りょう)読みました。


もう10年ほど前になりますが、
会社が水道橋にあった頃、
東京ドームシティにあるスポーツジムを
使っていました。

今はランニングですが、
そのときは自転車通勤。

板橋の自宅から約10キロなので、
汗だくになる。
なのでシャワーを浴びて出勤するため、
ジムを利用してました。

さて、そのジム。
来てる人たちが、
半端なくストイックなんです。

ぼくと同じように
十数キロの道のりを自転車で来て、
いったんジムのロッカーに荷物を置いたら、
そのまま外に出ていき、
ランニングで皇居を一周して帰ってくる。
(皇居まではたぶん2キロくらい。
 だからその往復と皇居一周5キロで
 合計9キロ!)
ジムに戻るとプールでちょいと泳いで、
サウナ風呂入って、
スーツに着替えて会社に行く。

そんな人がごろごろいるんです。

毎日そんなことやってて、
よくもまあ、
仕事ができるもんだと思いきや、

ある日、
新聞の「優良企業の社長インタビュー」
みたいな記事に、
その超ストイックさんの一人が
写真付きで取材に応えてた。

その人は、
ぼくのことなどまったく知らないだろうけど、
ぼくは一方的に、
ひぇ〜な彼の生き方を知り、
ただ、たじたじしてました。

で、この『それまでの明日』。

昔の知り合いが
テレビの街角インタビューみたいなのに、
たまたま出ていて消息を知るという話が、
本筋とはあまり関係ない場面で
出ていました。

主人公の沢崎さんが、
ぼくや、その街角インタビューでの
消息判明のように、ひょんなことで、
依頼人を見つけなければいいなと思いました。

と、
何のことだかわからない話をしましたが、
何はともあれ、この本いいです。
今年2冊目の五つ星つけました。





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2018年5月8日火曜日

『天才』(石原慎太郎)読みました。


この場でも何度かいいましたが、
ぼくは3冊を同時並行で読むという、
その書籍をつくった人に対して
なんとも失礼な、
本とのかかわり方をしています。

そうなると、
ここに感想文もどきを書いている今も、
読みかけの本が最低2冊はある。
(書くのを後回しにたときには3冊ある。
 もっとほっとくと10冊にもなる。
 そうなると、もうその本については書かなくなる)

現在読みかけの2冊を言っちゃうと、
(言わずに、あとの楽しみに
 とっておきたい気もするけど、言っちゃうと)

1コは、
スティーヴン・キングさんが絶賛していた
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』。

もう1コは、
待ちに待った(前作から14年ぶりだって)
原りょう さんの『それまでの明日』。
(漢字が文字化けすることもある
 というので名前は平仮名にしました)

もちろん、どちらもまだ途中ですが、
双方ともに頭を掻きむしりたくなるほど
面白いんです。
読んでる最中、何度感嘆のため息をついたことか。
こんなとこに書いている暇あったら、
早く続き読みたい。

で、この『天才』。

解説とあとがきにあった執筆動機の話は
面白かったです。





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2018年5月2日水曜日

『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


ちょい前、何の番組かは忘れたけれど
テレビを見ていたら、
画面全体に大きなテロップで
「芸術は盗作であるか、
 革命であるか、いずれかだ」
って言葉が出てきました。
(記憶をもとにしてるので
 文言は正確じゃないかも)

画家のゴーギャンさんが
言ったか書いたかした名言だという
触れ込みでした。

ふむふむ、なるほどなるほど。

偉い芸術家っていわれる人だって、
盗作ってまではいかないだろうけど、
それ以前に世に出ていた何からの作品から
刺激を受けてつくっていくのが
ほとんどだろうし、
(ゴーギャンさんはたぶんそんなのも含めて
 「盗作」って呼んでいるんだと解釈)
もし、まったく何のお手本もないままに
仕上げた創作物だったら、
それはやっぱ「革命」ってことになるようで。

で、この『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』。

ゴーギャンさんのいう盗作か革命か、
どちからに当てはめるなら、
革命には入らないですね。
世の中にあるほとんどの作品と同じように。

だからそういう意味でいえば盗作。
でも、単に特定の何かを
そのまま模倣したんじゃないってことは
よくわかります。
勉強して、こねて、かためて、削って、磨いて
……よく出来てます。

面白かったです。





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2018年4月26日木曜日

『金曜日の本』(吉田篤弘)読みました。


子どもの頃から
東京の板橋に住んでいます。

半世紀近く前には、
あちこちに土が見えていたけど、
今は道路脇の植え込み下くらいしか、
あの焦げ茶色を見つけられませんね。

それと、なんだかわからない建物も
たくさんあった。

崖のようになっている急坂の上には、
学校みたいな病院みたいな木造の建物。
廊下に面した窓の奥に、
ごくまれに白衣を着た医者らしき姿が
見えたりする。

でも、人の気配するのはホントにまれで、
ふだんはまったく物音もしないで、
しーんとしている。

ぼくたちは、そこをお化け病院と呼んで、
探検しに行ったりしたもんです。

鍵もかかってなくて、
子どもでも入れちゃったんです。

ほかにもヘンな場所はたくさんあった。

野球場くらいの広さの
空き地にある草ボウボウを
かき分けてたどり着く、お化け煙突。

(「お化け」は、よくわからない物につく
 接頭語のようなモンでした。
 ほかには、お化けほら穴、お化け工場、
 お化け公園などなど)

煙突といっても高さはなく、
2メートルほどのレンガ塀で
四角く囲んであるだけ。

よじ登って、てっぺんから中に入ると、
ゴミやら何やらがうじゃうじゃある。
あれは何だったんだろう。

で、この『金曜日の本』。

そんなこんなのお化け建物群を
思い出させてくれました。
奥付を見ると著者さんは同年代。
そうでしたね、昔は。





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