2019年11月28日木曜日

『なめらかな世界と、その敵』(伴名練)読みました。


一年を締めくくるのは、まだ少し早いけど、2019年のこれまでに読んだ本は、

『熱帯』(森見登美彦)/『フーガはユーガ』(伊坂幸太郎)/『四人組がいた。』(高村薫)/『熊と踊れ(下)』(アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ)/『童の神』(今村翔吾)/『RANK』(真藤順丈)/『そして夜は甦る』(原尞)/『土 地球最後のナゾ』(藤井一至)/『ゲームの王国(上)』(小川哲)/『ミスター・メルセデス(上)』(スティーヴン・キング)/『ゲームの王国(下)』(小川哲)/『ナバロンの要塞』(アリステア・マクリーン)/『夏の戻り船 くらまし屋稼業』(今村翔吾)/『ミスター・メルセデス(下)』(スティーヴン・キング)/『公正的戦闘規範』(藤井太洋)/『ひゃっか』(今村翔吾)/『人体はこうしてつくられる』(ジェイミー・A・デイヴィス)/『この本は環境法の入門書のフリをしています』(西尾哲茂)/『伯爵夫人』(蓮実重彦)/『ザ・スタンド(Ⅰ)』(スティーヴン・キング)/『理科系の作文技術』(木下是雄)/『ザ・スタンド(Ⅱ)』(スティーヴン・キング)/『私が殺した少女』(原尞)/『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(ルイス・ダートネル)/『森見登美彦リクエスト! 美女と竹林のアンソロジー』(森見登美彦ほか)/『てらこや青義堂 師匠、走る』(今村翔吾)/『ザ・スタンド(Ⅲ)』(スティーヴン・キング)/『東京の子』(藤井太洋)/『小説「映画ドラえもん のび太の月面探査記」』(辻村深月)/『ロビンソン・クルーソー』(デフォー)/『交流のしくみ』(森本雅之)/『ザ・スタンド(Ⅳ)』(スティーヴン・キング)/『カッコーの歌』(フランシス・ハーディング)/『ウイルスの意味論』(山内一也)/『今昔百鬼拾遺 鬼』(京極夏彦)/『ダンジョンクライシス日本』(緋色優希)/『シーソーモンスター』(伊坂幸太郎)/『シンドローム』(佐藤哲也)/『クジラのおなかからプラスチック』(保阪直紀)/『ザ・スタンド(Ⅴ)』(スティーヴン・キング)/『心霊電流』(スティーヴン・キング)/『手のひらの京』(綿矢りさ)/『心霊電流(下)』(スティーヴン・キング)/『蜜蜂と遠雷(上)』(恩田陸)/『へろへろ』(鹿子裕文)/『善く死ぬための身体論』(内田樹/成瀬雅春)/『今昔百鬼拾遺 河童』(京極夏彦)/『ノースライト』(横山秀夫)/『同潤会代官山アパートメント』(三上延)/『日日是日本語』(今野真二)/『蜜蜂と遠雷(下)』(恩田陸)/『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美)/『今昔百鬼拾遺 天狗』(京極夏彦)/『夢見る帝国図書館』(中島京子)/『宇宙と宇宙をつなぐ数学』(加藤文元)/『未必のマクベス』(早瀬耕)/『たましいの場所』(早川義夫)/『風邪の効用』(野口晴哉)/『双風神 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)/『ルポ 人は科学が苦手』(三井誠)/『雲霧仁左衛門 前編』(池波正太郎)/『あむんぜん』(平山夢明)/『最後の秘境 東京藝大』(二宮敦人)/『手塚マンガでエコロジー入門』(手塚治虫)/『談志狂時代』(立川談幸)/『生き物の死にざま』(稲垣栄洋)/『クジラアタマの王様』(伊坂幸太郎)/『神獣の都』(小林泰三)/『談志の忘れもの』(立川談幸)/『雲霧仁左衛門 後編』(池波正太郎)/『八本目の槍』(今村翔吾)/『グリフォンズ・ガーデン』(早瀬耕)/『ぱくりぱくられし』(木皿泉)/『お騒がせロボット営業部!』(辻堂ゆめ)/『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』(今村翔吾)/『恋文の技術』(森見登美彦)/『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)/『マンハッタン・ビーチ』(ジェニファー・イーガン)/『深泥丘奇談・続々』(綾辻行人)/『今昔続百鬼 雲』(京極夏彦)/『ねじまき少女(下)』(パオロ・バチガルビ)/『ヒトラーの正体』(舛添要一)/『秋暮の五人 くらまし屋稼業』(今村翔吾)

の83冊と、この『なめらかな世界と、その敵』(伴名練)。

その中で、1冊だけ選びなさいと言われたら、池波さんとか、早瀬さんとか、恩田さんなんかも捨てがたいんだけど、読み終えたばかりの今の熱さも手伝って、この84冊目になります。





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2019年11月26日火曜日

『秋暮の五人』(今村翔吾)読みました。


片道6キロのランニング通勤も、
常にヘロヘロ状態ながら9年目。

走り始めたのがちょうど
あの地震のちょっと前だったので、
テレビやらなんやらが、
節目の時をその度ごとに
数えてくれます。

とはいえ、
9年間走り続けても、
体力的に向上した実感は
まるでありません。

ランニング通勤開始後、
最初の2〜3週間は、
「もう死んじゃう」
と思えるほどキツかったけれど、

それを過ぎても、
「もう死んじゃう」
と思わなくなっただけで、
キツさは変わらず、
今もキツさは同じです。

そして、そのキツさが、
コースの途中で強くなったり
弱くなったりする波の形も
ほとんど変わりません。

パッと思い浮かぶのは、
残り1キロ地点で、
(5キロ走ったくらいのトコ)
一旦キツさが和らぐ時間があること。

ほんの2〜3分、
100メートルもない距離ですが、
「あ、ちょい楽になった」と、
魔がさす瞬間があるんです。

そう、あれは「魔」です。

ずっとキツければ、
きっと9年も続けていないのに、
あの魔があるから、
なぜかしら今日も走っちゃう。

もしかしたら今日は、
キツさはゼロで、
オール魔かも、
なんて期待して走っちゃうんです。

で、この『秋暮の五人 くらまし屋稼業』。

シリーズものなのに
この本を抜かして先を読んじゃいました。
それでも問題はないけど、
やっぱ順番は大切ですね。
魔は、それまでの5キロのキツさがないと
出て来ないものです。





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2019年11月21日木曜日

『ヒトラーの正体』(舛添要一)読みました。


いつだったか、なんかの集まりで
ビンゴゲームをしました。

そのときぼくは、
ガラガラ回して落ちてきた球を拾い上げ、
そこに書かれている番号を読み上げる役。

「はーい出ました32番!
 リーチの人はいる?
 まだ誰もいないの?
 そんじゃ次いくよー!」

なんていいながら、
ガラガラの取っ手を
もったいぶって回していました。

ぼくが番号を読み上げていく姿を、
そこにいるみんなが
固唾を呑んで見ている。

大きな声で番号を告げると、
当たった人もハズレた人も、
普段は見せない熱狂ぶりで反応してくれる。

「あっ、リーチ! リーチ!」
「おしいー! それじゃねーよ、
 なんだよキクチィー!」

そんなのをしばらくやってると、

どうしたことでしょう。

ぼくの中に隠れていた多幸感カプセルが
ポンッとはじけたようで、
とっても気持ちよく
なってきちゃったんです。

それって多分、
ライブで観客を乗せまくって
一体感を感じているロッカーの人とかが
感じるものと同じなんだろうな。

で、この『ヒトラーの正体』。

ミステリー仕立てみたいになっていて
エンタメしている本だと勘違いして
読んじゃいました。
……ぜんぜん、そうじゃなかった。

とはいえ、あのドイツのヒゲの人も、
ビンゴゲームの読み上げ係的な高揚感を
味わっていたんだろうと
想像したりしたぞなもし。





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2019年11月12日火曜日

『マンハッタンビーチ』(ジェニファー・イーガン)読みました。


どっかの偉人さんの薫陶か、
仕事の参考文献で使った
自己啓発本の中にあった教示の言葉か、
どっから仕入れたかは
定かではないんですが、

物事を選択するとき、
その「どっかの誰かの教え」を
思い浮かべたりします。

教えはこうです。
「簡単にできるものではなく、
 より難しいほうを選びなさい」。

簡単なほうは、
今まで何かしら同じような経験を
していたからスムーズに
こなせるものなんでしょう。

そんで難しいほうは、
これまでとは違う慣れていないものに
挑戦する場面だと思います。

つまりは、
以前にやったのと似たような事柄じゃなく、
新しい経験を積んだほうが、
人生は面白く過ごせるよ
ってお導きなんでしょうね。

先日、この教えを忘れて、
ついつい楽なほうを
選んでしまうことがありました。

楽なほうを選ぶと、
すいすいと事が運び、
気持ちいいもんです。

でも、難しいほうを選ぶと
そうはいかない。
ふーふー息を切らしながら、
やっとできたと思っても、
1ミリほどしか進まない。

「どっかの誰かさん、
 人生を面白く過ごすには、
 楽なほうを選んだほうが、
 いいかもしれませんよ」
なんてつぶやいていました。

で、この『マンハッタン・ビーチ』。

あれ?
またまた本の内容にかすりもしない
関係ない話を書いてしまいました。

今回は関係ないこと書くほうが、
簡単にできる選択だったようです。





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2019年11月8日金曜日

『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


書いたモノを準備していたのに、
そのことをすっかり忘れ、
上巻の前に、下巻の分を
アップしちゃいました。
順番違いですが、ごめんなさい。
ってことで、以下(↓)上巻の分。

***********

ちょっと前に読んだ木皿泉さんの
『ぱくりぱくられし』の中に、
SFについての分析が書かれていました。

これまでジュール・ヴェルヌ以来、
いや聖書や日本書紀以来、
もっといえば、
伝承される昔話や民話が
つくられるようになって以来、

SFのジャンルにくくられるお話は、
そのほとんどが、
力を持ちすぎた人間を嘆く筋立てに
なっているっていうんです。

(記憶で書いているので、
 木皿さんの意見そそままじゃないかもです。
 すみません。
 ちゃんと確認すればいいんですよね。
 でも、その本、家に置いてきちゃったので、
 手元にないんです。なので、ご勘弁)

力を持ちすぎたっていうのは
比喩的な言い方で、
具体的には技術が進歩して
何でもかんでも便利になっちゃうってこと。

ドラえもんのいる
あらゆる道具が揃っている
未来みたいなトコです。

〈どこでもドア〉があったら、
瞬間移動ができて便利だけど、
苦労してたどり着く喜びが
なくなっちゃうとか。

〈タイムマシーン〉で過去を変えたら、
時空に歪みができちゃうとか。

やっぱり、不便なままがいいのかも。
そんなに力を持たずに暮らす方が幸せかも。
っていうお話が、
SF分野の大半を占めているらしいです。

で、この『ねじまき少女(上)』。

SFです。
舞台はやはり、便利を追求した先の未来でした。





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2019年11月6日水曜日

『ねじまき少女(下)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


ランニング通勤を始めてから
もうすぐ丸9年になります。

今、使っている靴はたぶん3代目。
(もしかしたら、忘れているのが
 あるのかもしれないので4か5かも。
 でも公称の数字は3にしときます)

最初の靴は、
ランニングを始める前から
ずーっと履いていて
(おそらく5年とか6年とか)
走らなかった頃は
まったく壊れなかったんだけど、
やっぱ負荷がかかるんでしょうね。

ラン通勤開始から、
1年もたたないで
底が剥がれてきちゃいました。

それで仕方ないので、
プロ仕様みたいな軽くて
(足の甲を覆う部分というか、
 底以外の全体がメッシュなんです。
 だから軽いんだけど、
 冬の走らないときに履いていると、
 風がビュービュー吹き抜けて、極寒です)
底が薄く、素足に地面の感じが
直接伝わってくるようなヤツに替えました。

それを数年履いて、
今度はメッシュが破れてきたので、
今のヤツ。

これは、選ぶのが面倒になったので、
ごく普通の運動靴です。

その3代目がそろそろ危なそうなんです。
小さく穴とか開いてきて。
次はどんなのにしようかな。

で、この『ねじまき少女(下)

ぎゃ、また関係無いことだけで埋めちゃった。
感想は別の機会に。





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2019年10月31日木曜日

『今昔続百鬼 雲』(京極夏彦)読みました。


通勤には
リュックサックを使っています。

本を入れる場所は、
上部のチャックがついた
フタみたいな場所。
小物を放り込んでおけるトコです。

このリュックを使い始めた頃は、
そこに本を入れておくと、
ランニング通勤していることもあり、
揺れが激しいのか、
すぐボロボロになっちゃいました。

なので、しばらく使ううち、
入れ方を変えてみたんです。

それまではチャックを開けたとき、
背表紙が見えるように、
開く方(小口)を下にしてた。
それを逆さまにした。

つまり背表紙を奥に突っ込む形です。

したら、あらまあ。
ボロボロ率が
驚くほど減ったじゃありませんか。

以降、ずっとその方法で携帯してます。

ただし、
読み終えるのに何日もかかるような
分厚い本はダメです。
何日も揺れの中で
過ごさせるものじゃないんですよね、
本って。

で、この『今昔続百鬼 雲』。

ぶ厚い本でした。たしか700ページ超。
でもなぜか、
ほかの本よりはボロボロ率は少なかった。
面白かったからでしょうか。





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2019年10月29日火曜日

『深泥丘奇談・続々』(綾辻行人)読みました。


世の中は、
なんとなくいいつくりというか、
穏やかな雰囲気というか、
そんな方向に、
ゆるやかだけど変化している、
と感じているのは、ぼくだけでしょうか。

たしか子どもの頃は、
休み時間に校庭とかで遊んでいると、
光化学スモッグ警報が出たので、
すぐに校舎へ入りなさい
なんていわれて、
空気を汚さないようにしてほしいな
と漠然と思っていた。

でも今は、
晴れた日なら東京北端の
6階の自宅から
富士山がきれいに見えて、

公害って言葉も、
とんと聞かなくなった。

少し大きくなって、
中学生か高校生くらいのときには、
新しくつくられる道路なんかを見て、
そんなゴツゴツの外観じゃなく、
もっとなごむような形にしてほしいな、
なんて思ってた。

その頃できる幅広道路の中央分離帯は
金網の柵があるだけの
のっぺりコンクリートだったけど、

今はきちんと植栽されて、
中には遊歩道みたいのもある。

ぼくは何もやってはいないのだけれど、
昔そうなったらいいなと思っていた形に
近づいていってくれている。

もちろん、
それはそれでいいことなんだと思います。

なんだけど、なんだけど…。

へそ曲がりのぼくは、
人間ってもっとドロドロが
似合うんじゃないのなんて
つぶやいたりすることも
あったり、なかったり。

昔、そんなのがいいなと
思っていた自分は
何だったんだ、と思いつつ。

で、この『深泥丘奇談・続々』。

シリーズ3巻目。1巻目からすると、
いいつくりというか、
穏やかな雰囲気というか、
そんな方向に、
ゆるやかだけど変化してる、
ように感じました。ぼくだけかな。





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2019年10月24日木曜日

『恋文の技術』(森見登美彦)読みました。


まず、確認しておきます。
本を読むことと勉強することは
重なる部分が結構あるかもしれないけれど、
決してイコールではありません。
とりあえず、それを頭に入れておいて、と。

勉強している姿を見れば、
その人に対し、少なからず
「偉いなぁ」という気持ちが
わいてきます。

そして勉強している姿の代表が
本に向かう様子でしょう。

だから、
電車の中でも
家族がうろちょろしている居間でも、
本を読んでれば、
きっと周囲の人は、
少なからず「偉いなぁ」と
思ってくれるはず。

これがスマホを眺めている姿だったら、
そうはいきません。

勉強アプリ(そんな分野あるのかな?)で、
目標をクリアして、
「やった!」とニヤニヤしていたとしても、

周りの人は、
「桃色動画を観て、いやらしいわ」
と勘違いしてしまう。

でも本は違う。
読んでいる本の中に、
下品な言葉がたくさん登場して、
それを面白がるためだけに
文字を追っているとしても
「偉いなぁ、勉強してはる」になるんです。

で、この『恋文の技術』。

再読、いや三読か、もしかしたら四読。
だって「おっぱい」って言葉が
たくさん出てきて、面白いんですもの。





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2019年10月16日水曜日

『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


本は月に1度まとめて買います。
読んでいた本の中で
紹介されていた別の作品とか、
新聞に出ていた新刊の広告とか、
ネットの書評とか、
どこからか送られてくる
宣伝メールなんかで、
「あ、これは」と思ったモノを
メモしておき、
その紙切れを持ってひと月に一度、
本屋さんに行くんです。

自分でも読めないような
ミミズのたくり文字を解読しながら、
いつも行くでっかい本屋さんの
書棚を探します。

メモには少ないときで5、6冊、
多いときで十数冊の作品名が
書かれています。

その中には、
最低でも1冊は、
お気に入りの作家さんの新刊があり、
その名前を見ると
「うん、今月も1冊は安パイだ」
なんてほくそ笑んだりしてます。

そんなニヤケ顔のおじさんが、
くしゃくしゃの汚いメモ用紙を
手にしながら、
池袋のジュンク堂をうろついていたら、
それがぼくです。

で、この『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』。

安パイでした。
でも、何を勘違いしたのか、
シリーズの4巻目を抜かしていた。
メモしたはずなのに……。





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2019年10月10日木曜日

『お騒がせロボット営業部!』(辻堂ゆめ)読みました。


伊坂幸太郎さんが、
(この前『クジラアタマの王様』読了)
インタビューだか対談だかで、
絶対やりたくないことを
語っていました(たぶん)。

そのダメな行為とは、
「自分が納得できない
 物語の流れであっても、
 締切に追われ、
 そのまま書き上げてしまうこと」
だそうです。
(たぶん。
 違う人だったらごめんなさい)

でもでも、
ぼくは今まで読んだ小説の中で、
伊坂さんの言うような
投げやりな作品に
出会ったことがないんです。

文章のヘンテコさだとか、
言葉の選び方や並べ方が
しっくりこないとか、
セリフの唐突さだとか、
そういった細かい部分には、
違和感を覚えることはあっても、

物語の流れを見て
「あ、これは、こねくり回して
 深みを出す時間がなかったんだな」
などと感じることはありませんでした。

もしかすると、
そこまで真剣に読み込まずに、
うわべだけさらっと流しているだけな
怠惰な読者ってことかもしれないけど。

なので、
伊坂さんの言う〈作者が納得不足〉の本に
触れてみたいなと思っていたところです。

で、この『お騒がせロボット営業部!』。

もしかして、
そんな本に出会っちゃったかな……
って思える部分が見えた気がしました。

いや、でも違いました。
ベタだけど涙流しながら読んだ箇所もあったし。





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2019年10月8日火曜日

『ぱくりぱくられし』(木皿泉)読みました。


何かの打ち合わせの帰り、
コピーライターをしている友だちと
駅まで歩いていました。

もう少しで最寄り駅に着くころ、
彼の携帯が鳴りました。

液晶に出てる発信者の名前を見て、
心なしか背筋を伸ばしながら、
ぼくと話すときとよりだいぶ高めの声で
「はい、どうもお世話になります」。

電話の相手は、
歩きながらの会話では対処できるような
人じゃないらしく、

彼は50メートルくらい先に
駅が見える歩道に立ち止まって、
スマホを耳に押し当てています。

なにかクレームなのかな。
しきりに恐縮しているふうです。

ちょっぴりいたたまれなくなって、
ぼくは少し離れて、
ここなら聞こえないよと
わかってもらえるような場所で待ちました。

時間はほんの2、3分。

飲み屋の看板の文字を
見るともなしに読んでいると、
彼が電話を終えて戻って来て

「フレキシブルってっさ、
 ほかの言葉に置き換えたら何になる?」
と投げかけてきました。

で、この『ぱくりぱくられし』。

彼の投げに「〈居てよしッ!〉はどう?」
とぼくは答えました。

それは、この『ぱくりぱくられし』からの
パクリ(13頁)なのでした。





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2019年10月3日木曜日

『グリフォンズ・ガーデン』(早瀬耕)読みました。


毎朝のランニング通勤で
ゴールにしているジムに到着したとき
「あれ? 昨日まで滝行直後の
 修行僧みたいに全身汗でびしょ濡れ
 だったのに、今日は顔しか汗かいてない」
と気づいたとき。
(夏から秋へ季節の変わり目を
 文学的に表現しようと思ったんです)

気の合う仲間たちとの飲み会で、
我を忘れてはしゃぎまくり、
馬鹿笑いしまくった次の朝、
たまたま家族はみんな出掛けていて
一人ベッドから起き上がり
寝ぼけた目をこすりながらトイレで用を足し、
水洗の水が流れ行くのを眺めているとき。
(喧噪の後にやってくる
 孤独感みたいなものを
 文学的に表現しようと思ったんです)

立体交差で環状7号線が上に被さり
アーケードみたいになっている
旧中山道のくぼみの所で、
高校に自転車で通うのに
いつも待合せしている友だちが、
その日はなぜか現れず、
「もうダメだ遅刻しちゃうから先に行こう」
とペダルに足をかけたとき。
(いつも元気な友だちに対する
 何かあったんじゃないかという心配と、
 あのヤローに、なんて文句を
 言ってやろうかという苛立ちを
 文学的に表現しようと思ったんです)

そんなこんなのとき、
胃がシクシクするような
物悲しい気分になります。

で、この『グリフォンズ・ガーデン』。

もういい大人になってしまったからなのか、
最近あまり感じなくなった
シクシクの物悲しさを思い出させてくれました。





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2019年10月1日火曜日

『八本目の槍』(今村翔吾)読みました。


仕事で雑誌や新聞などの原稿を
書いているせいなんでしょうか。

ひとまとまりの文章の中では、
まず結論を言って、そのあとで、
結論に至る背景とか、
そこから広がる影響とかに
つなげていくって感じの構成に
いつの間にかなっています。

(今書いている感想文もどきの文章は、
 その反動みたいなモンで、
 なんでもいいから普段とは違う
 書き方をしたいと、なるべく素の自分を
 出しておちゃらけてる。
 だから、結論が先に出てくるどころか、
 どこにも見当たらなくなります)

時間のない読者に向けて、
ススッと情報を伝えるためには、
そんな書き方がよいのであると、
誰かに教えられたような気がします。
誰だか忘れたけど。

いや、そもそも教えられたんじゃなく、
文章読本とか記事作成ノウハウとかの本に
載っていたことかもしれない。

ほんで、
そんなふうな書き方に慣れてしまうと、
〈続きは次週のお楽しみ〉みたいな
やり方をされると、
「うわーやだー、早くおせーて」
と頭を掻きむしりたくなっちゃうんです。

で、この『八本目の槍』。

確か去年『童の神』が直木賞候補になり
受賞には至らなかったけど、
これならいけるんじゃないと思いました。
何度も頭掻きむしりたくなったのが、
悔しいけど。





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2019年9月27日金曜日

『雲霧仁左衛門(後編)』(池波正太郎)読みました。


「サスペンス」を辞書で引いたら、
類語として「スリル」って言葉も載っていて、
そういやその2つってどう違うんだろうと、
辞書のその先を読んでみました。

特段面白いワケじゃないけど、
紙面も埋まるので引用します。

2つの言葉をくくっている説明文は
「楽しみとして味わえる、恐怖感や緊張感、不安感」。

そのあとに
「使い分け」ってのがあって、そこには

【1】いずれも、通常は不快なものとして認識される、
  恐怖感、緊張感、不安感などの感情を、
  娯楽や読書の際に楽しみとして意図的に味わうもの。
【2】「スリル」は、自分の安全が脅かされるような
  気がする場合に抱く恐怖感や不安感をいう。
【3】「サスペンス」は、特に、小説やドラマなどで、
  話の展開が読者や観客に与える不安感や緊張感をいう。

ほら、こんなに文字がたくさん埋まっちゃいました。

つまりは、
読書の文脈でいうなら、
どちらかというと「サスペンス」のほうが
適切みたいです。

ほんで、
多く作品で描かれるサスペンスは、
正義の味方側がとんでもない危機を
乗り越えるときのドキドキのようです。

そして中にはワル者が経験するハラハラを
楽しませてくれる作品もあります。

で、この『雲霧仁左衛門』。

この本、正義も悪漢も、
両側からのサスペンスを味合わせてくれます。
一粒で二度美味しというか、なんともお得。





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