2018年9月4日火曜日

『柳家小三治の落語(9)』(柳家小三治)読みました。


最初の1巻に手をつけると、
たいていは、そのシリーズの
最終巻まで読み通します。

そうしないと本のお化けに
取り憑かれるような気がして、
なんだかムズムズしてきちゃうのです。

だから、面白いのはもちろん、
面白くなくても、とりあえず最終巻の
最後のページまで目を通す。

それやって良かったなと思うのは、
二十数巻あった鬼平犯科帳でしょ、
確か三十巻以上あった
山田風太郎ベストコレクションでしょ、
シャーロックホームズでしょ、
とまあ、いろいろあります。

それらは、
有意義な時間を過ごせたと思える例。

ほんで逆に、キツいなと思いつつも、
取り憑かれちゃいかんと思って、
最終巻までこなしたのは、
題名は忘れたけど、
受験勉強のための英文法解説本たしか10巻くらい、
それからやっぱり題名はうろ覚えの、
俺の妹がなんたらかんたらって作品、
それも10巻以上ありました。

で、この『柳家小三治の落語(9)』。

この9巻が最終巻のようです。
このシリーズは、有意義バーションでした。
この倍の冊数があってもまだ大丈夫な感じです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月30日木曜日

『半七捕物帳(3)』(岡本綺堂)読みました。


気づいたらその習慣が
なくなっていたのですが、
数年前までは、
本を買うときのジンクスがありました。

上下巻の分冊とか、シリーズ物とか、
ひとつながりの本を仕入れる場合に、
「一度に複数冊買ったらダメ」ってこと。

面白くてもつまらなくても、
一度手を付けたら最後まで読まないと
気が済まないぼくなので、
最初の巻を仕入れたら、
いずれにしても最終巻まで
買うことになるんです。

だから複数冊を
いっぺんに手に入れるほうが、
本屋さんに行く手間も省けるし、
最初の巻が面白かったときの
「すぐ次読みたい」需要にも応えられます。

でも、その数年前の頃は、
一度に複数巻仕入れたものが、
ことごとくハズレだったんです。

で、複数巻のラインナップがあっても、
それを1冊づつ買っていくと、
「これ面白い!」「わーすごい!」
って感じの当たり、当たりになる。

まあ、そんなのは、たまたまの偶然ですよね。

そう、それが偶然だってことに気づいたからか、
ジンクスの魔力が薄れていったか、
今では複数巻同時購入も気にならなくなり、
それに伴う作品の善し悪しも
なくなっているようです。

で、この『半七捕物帳(3)』。

全部で6巻あります。それ最終巻まで、
複数冊のまとめ買いしちゃいました。
1巻目を読んだときには
「もしやジンクス復活か?」と、
びくびくたんですが、3巻目まできて
「おや? いいかも」って思えてきました。
次巻が楽しみになってきてよかった。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月28日火曜日

『溺れる月』(新野剛志)読みました。


読み終えたのは8月12日、
これを書いているのは8月25日。

いつの間にやら、
2週間ほど過ぎてしまいました。

ぼくの脳内記憶システムは、
常に新しい情報を入手できるように、
半日前のあれやこれやの出来事を
覚えておくことはせず、
すぐに消去して記録スペースを
空けておくようにできています。

なので、
それ以前に読んだ本の内容は、
ほとんど覚えていないのが通常です。
(つまり1日たつと忘れる)

それでも、システムのバグなのか、
入手した情報の特殊性なのか、
詳細までは思い出せないにしても、
かなり長く印象に残る作品もあります。

そんな耐久性のよいものは、
大まかに分けて2種類。

一つは、五つ星をつけるような、
「わーホントによかった」と思える作品。

そしてもう一つは、
どうしても興味がわかず、
「もっとこうすれば、
 ぼくの趣味に合うのにな」とか
「その設定はちょっと無理があるでしょ」とか、
読んでる途中に
いらぬツッコミを入れちゃう作品。

そうした両極端な作品ほど、
頭に残る期間が長いんです。

で、この『溺れる月』。

読み終えたのは8月12日。
これを書いているのは8月25日。
この期間って長いです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月21日火曜日

『かがみの孤城』(辻村深月)読みました。


もう1年ぐらい前になると思うんですが、
有名人が鼎談するテレビ番組で、
作家の森見登美彦さんと万城目学さんが
出演していました。
(もう一人はどこかの劇団の
演出家だったかな……忘れました。すみません)

そこで、小説の作り方についての話題になり、
ぼくが時々ここで触れる、

「思いつくままに書き進める方法」と

「プロットをきちっと組んだ
 設計図のようなものをまず用意し
 それに沿って書き進める方法」

のどちらがいいのか議論になっていました。

森見さんは前者。
登場人物に自由に動いてもらい
作者はそれを写し取っていくような
感じがいいみたいに言っていました。

対して万城目さんは後者。
結末までの道筋が
わからない状態で書くなんて、
とんでもないって感じ。

どっちの方法でつくっても、
読む側としては、
面白ければそれでいいんですけどね。

で、この『かがみの孤城』。

久々に五つ星。面白かったぁ。
これもし、
森見さん的「思いつくまま作法」で
書いたのだとしたら、
それは神様的な才能をお持ちなんだと思います。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月16日木曜日

『柳家小三治の落語(8)』(柳家小三治)読みました。


なんでそんなことやっているのか、
自分でもわからなくなっている
毎朝約6キロのランニング通勤。

もう7年以上続けているのに
ちっとも楽にならないから、
少しは走りに楽しさを付け加えたいと
思うようになりました。

すぐに思いついたのが、
音楽聴きながらのランニング。

で、それをちょっとヒネって
落語聞きながらがいいなと。

いつもランニングアプリを使っているので、
そのスマホに音源入れればOKだし、
あとはイヤホンをつなげば
出来上がりのはずです。

でもね。
イヤホンがダメなんですわ、ぼく。

なぜか知らんけど、
耳の中にあの丸っこいのを
突っ込んだ状態にしておくのがイヤで。

それに、耳塞いじゃうと、
クルマの音とか聞こえなくなって危ないし。

そう思っていたらなんと、
サングラスをかけるだけで
イヤホン代わりになるグッズが
あるそうじゃないですか。

耳に入れなくても
骨伝導って仕組みを使うらしく、
それいいなって思ってるんです。
今、売ってるとこ探し中。

で、この『柳家小三治の落語(8)』。

イヤホンサングラスを入手したら、
まず、小三治さんの落語を
聴きたいと思います。
走りが楽になりますように。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月14日火曜日

『ベストセラー小説の書き方』(ディーン・R・クーンツ)読みました。


昔、雑誌の特集で、
とある会社の紹介記事を
書いたことがあります。

日本に来ている
アメリカ人の社長にインタビューして、
その会社がどんなビジネスを
しているのかまとめる仕事でした。

そこが何をやっているかというと、
いわゆるマルチ商法って
いうんでしょうかね。

商品を買わせて、
それをまた別の人に売らせて、
その別の人から買った人は、
また違う別の人に売ってって
という感じのやり方。

大もとの親から、子、孫……
と階層的につながっていく。

その間に入っている人は、
自分の下の階層で商品が売れていけば、
マージンをもらえて、
お金儲けできる仕組み、みたいです。

そんで、そのアメリカ人の社長が、
若くてハンサムなんだけど、
とにかく押しが強いんです。

ぼくは、仕事で取材しているだけなのに、
「あんたもやれ」的に、入会を勧めてくる。

そもそも、
そういうビジネスでお金儲けするのに
抵抗があるぼくは、
「いやいや、ぼくは記者ですから、
 あくまで第三者的な立場にいないとダメです」
みたいなありきたりの断り文句を必死に並べ、
なんとかインタビューを切り上げてきました。

で、この『ベストセラー小説の書き方』。

押しが強いなぁ、この本。
読んでいる最中、何度も、
あのアメリカ人社長の顔が目に浮かびました。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月10日金曜日

『柳家小三治の落語(7)』(柳家小三治)読みました。


今でも高校時代の友だちは、
ぼくのことを
「ラクダ」ってあだ名で呼びます。

他にも「おやじ」とか「いのき」
なんて呼ぶヤツもいるけど、
一番多いのがラクダです。

体育の授業で
長距離走(といっても1,500m走)を
やったとき、みんなヘロヘロになっている中、
ぼくはわりと涼しい顔して
飄々と走っていたらしいんです。

毎日の部活で、
体育の授業より数十倍きついしごきを
受けていたから、1500なんて
チョロかったんだと思います。

その飄々走りに驚いた友だちが、
「お前は身体のどこかに栄養分を蓄えて、
 それを小出しに使えるんだな。
 あ、そのアントニオ猪木みたいに
 でっかいアゴだ。
 養分、そこにあるんだろう。
 まるでラクダじゃん。らくだ、ラクダ!」

と叫んだのが、このあだ名の始まりです。

で、話は変わって、ちょっと前に、
さだまさしさんの本を読んだときのこと。

彼はその昔、
落語家を目指したこともあるらしく、
得意は「らくだ」という演目だったようです。

で、やっとこの『柳家小三治の落語7』。

「らくだ」の演目入ってました。
実はその噺の内容、
この本を読んで初めて知ったんです。
さださんの本で、らくだ噺があることを知り、
自分のあだ名でもあるから、
一度は触れておかなきゃって思ってたんです。
それがやっと、できました。

このシリーズ全9巻なので、残りはあと2つ。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月8日水曜日

『半七捕物帳(2)』(岡本綺堂)読みました。


作画・和田誠のイラストカバーを
思い出すカート・ヴォネガットさんが、
エッセイか何かで、

「小説の書き方はこうあるべきだ」的な
文章を記し、それに続けて、
他の作家が自分にはとても真似できないほど
素晴らしい小説を出しているけれど、
その作品は
「今挙げた〈こうあるべき〉項目に、
 ことごとく反している」
みたいなことを書いていました。

物語をつくりたい人は、
こんなふうにやればいいんだよ。
でも、そんなふうにやらなくても、
面白いものはできるよ。

という、なんだか禅問答のような、
アイロニーのような物言いです。

クーンツさんって人も
『ベストセラー小説の書き方』って
本を出しています。
(今、読んでいる最中で、
 もう少ししたらここで紹介します)

そこでも、
こういうふうに書けば、物語は面白くなるし、
本はたくさん売れる
ということを言っているんです。
そっちは、アイロニー禅問答じゃなく、
「俺の言うことに間違いはない。
 この通りやれ」的な感じですけど。

で、この『半七捕物帳(2)』。

前者のヴォネガットさんじゃなく
後者のクーンツさんのいう〈こうあるべき〉項目に
ことどとく反している気がしました。

それでも
長年売れ続けている本なんですよね、これ。

「俺の言うことに間違いはない」と
自信を持って発表するのは大切なんだろうけど、
受け取る側は「いや、例外もある」と
わかってたほうがよろしいようです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月2日木曜日

『Ank:a mirroring ape』(佐藤究)読みました。


米や麦などの穀物は、
とてもひ弱な植物で、
人間が小まめに面倒をみてやらないと、
すぐ枯れてダメになってしまう。

ほっぽらかしのまま、ダーウィン仕様の
自然淘汰的世界に置いておいたら、
あっと言う間に絶滅しちゃう。

でも、見方を変えると、そうした穀物は、
人間を使って、めちゃめちゃ自分の子孫を
後世に残している。

つーことは、
それも一種の生き残り戦略に
なっているんじゃないか。

みたいな話をどこかの本で読んだとき、
ふと思い出したのが、
競走馬のサラブレッドについてやった
友だちとの議論でした。

サラブレッドってのは、
競馬をやるためだけに生まれてくる。
選ばれた幸せなヤツらなんだ。

と友だちが言ったので、
そんなのは人間のエゴエゴで
おかしいじゃんって、ぼくは反論したんです。

結局その議論は平行線で
決着はつきませんでした。

んで思い出す、穀物の生き残り戦略。
馬にしても穀物にしても、
人間をうまく使っているだけなのかも。

で、この『Ank:a mirroring ape』。

すみません。
また関係のないことを
うだうだ書き連ねちゃいました。
この本が、
人間が育ててるチンパンジーの話だったから。
ただそれだけのつながりでした。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月31日火曜日

『柳家小三治の落語(6)』(柳家小三治)読みました。


元気な出版社の幻冬舎をつくた見城徹さんが、
面白い本に欠かせない要素として
「極端さ」をあげていました。

もしかしたら、
単に面白い本の要素というのじゃなく、
ベストセラーにするための条件
だったかもしれません。

(ごめんなさい、曖昧な記憶で。
 たぶん検索すれば確認できると思うけど、
 ぼんやりした感じのまま書いたほうが、
 なんとなく性に合うのでそのまま続けます)

「ちょっと変わってるな」とか
「普通じゃない」くらいじゃダメで、
そのレベルを何段も突き抜けて、

「そりゃ、ありえない」
ってくらいの極端さがないと、
売れる本にはならない。

酒飲みを登場させるなら、
一升瓶を5本空にするくらいじゃなく、
タンクローリー1杯分とか、
東京ドーム大のジョッキを飲み干すとか
……そんな感じにするのよいと。

まあ、そうですね。
そんな極端が、キチンとした実在感をもって
表現されていれば、それは面白いし、
読者もたくさん引き寄せられると思います。

で、この『柳家小三治の落語(6)』。

逆なんです。
極端を普通にしてる感じなんです。
小三治さんの落語って。

それでも、いやそれだから、
「ああ、なんか知らんけど、いいなぁ」
って胸の中にほこほこした感じがわいてくる。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月26日木曜日

『半七捕物帳(1)』(岡本綺堂)読みました。


「ああ、おいしいな」
と、毎回毎回思うのなら
仕方ないかもしれません。

でも、大抵は
「そんなに旨いわけじゃないよな」
と感じながら、吸ってるんです、タバコ。

そもそも、
一番最初に吸ったときからそうでした。

「激マズーっ!
 こんなものよく常用できんな」

と、あの煙の出る先っぽを
しげしげと眺めたもんです。

たぶんはじめの10本目くらいは、
旨さなんてまったくわからず、
内心は「げー、やっぱ、マズーっ」
と思いながら格好つけて火をつけ、

数十本の経験を積んだ頃から、
「なるほど、こんな感じのことを
 旨いっていうのかな」
とわかり始めたような。

あ、そうそうビールも同じですかね。
子どものころ、
大人が「くいーっ」なんて言いながら
おいしそうに飲んでるのを
うらやましく思って、
ちょっとだけコップに口をつけたら、

「ぎゃーなんじゃこりゃー」
って思ったもんです。

それが今では、
何時間もあの泡立つ液体を飲んでいられる。

で、この『半七捕物帳(1)』。

著名な作家さんたちがあちらこちらで
オススメの本にしていたのは知ってて、
それにあやかり、
ぼくもようやく手を出してみました。

短編集なんですが、十数話を読み終えて、
頭に浮かんだのがタバコやビールのこと。

だんだん慣れてくるに従って、
深みにはまっていくような予感がしてます。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月24日火曜日

『これなら読める! くずし字・古文書入門』(小林正博)読みました。


会社でのお昼ご飯(たいていお弁当)は、
いつも本を読みながらの食事です。

でも、休みの日など家での昼食時には、
食卓の近くに本が置いていないこともあり、
読書メシではありません。
(会社では、仕事机の上での食事なので、
 すぐ横の書類棚に昼食時用の本が
 置いてあるんです)

それで、
家でのときにはどうなるかっていうと、
テレビランチです。

ラーメンとか、チャーハンとか、
スパゲティとか、
まさに昼メシって感じの料理を前にして、
箸と同時くらいにテレビのリモコンをとって、
電源を入れます。

目当ての番組が特にあるわけじゃないので、
番組表を見て何がいいかと考えるのですが、
そのときかなりの確率でチャネルを合わせるのが
「なんでも鑑定団」です。
再放送なんでしょうね。
休みの日の昼ぐらいにいつもやってる。

出演者が持ってきたお宝の真贋を、
専門家が鑑定して評価額をつけ、
そのとき鑑定士が
お宝にまつわるうんちくを述べる。
(あーやっと本題に近づいた…)

お宝には掛け軸がよく出品され、
そこにはミミズののたくったような
昔の文字が書かれている。
それを鑑定士がこともなげに読んじゃうんです。

で、この『これなら読める! くずし字・古文書入門』。

ぼくも鑑定士みたいに読んでみたいと
思って挑戦した本。
わかったのは、
あと50回くらい繰り返し読まないとダメってこと。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月18日水曜日

『ある日どこかで』(リチャード・マシスン)読みました。


だいぶ前に、
スティーブン・キングさんの
『11/22/63』を読んで
「こりゃあ相当おもろい」と感じ、

その解説だか、あとがきだかに
書いてあった参考図書
(というかオマージュ図書というか)
も読んでみようと挑戦したのが、
ジャック・フィニイの
『ふりだしに戻る』でした。

ところがしかし、
キングさんは『ふりだし〜』に刺激を受けて、
自分もそんな作品を書きたいなと思って、
(ぼく的には相当面白かった)『11/22/63』を
仕上げたはずなのに、そのネタ本(『ふりだし〜』)は、
それほどではなかった(あくまでぼく的に)。

そういうのって結構あるんですよね。
まあ、よくあることですわ。
今ではもう『ふりだし〜』は
あらすじさえも忘れちゃってるし。

で、この『ある日どこかで』。

また出てきたんです。
この本の訳者のあとがきで。
『ふりだしに戻る』が。

まあ同じタイムトラベルものですからね。
(ちなみに『11/22/63』もそう)

そんなに言うんだったら、
もう1回『ふりだし〜』読んでみようかな。
あ、もうブックオフにドナドナしちゃったか。
家に帰ったら本棚確認してみよっと。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月12日木曜日

『フランケンシュタイン』(メアリ・シェリー)読みました。


昔『食人族』という映画がありました。
公開されたのは、
ぼくが映画学校に通っていた時期でした。

なんで覚えているかっていうと、
映画を観た感想を学校のみんなに言ったら、
とたんに大笑いされたので。
軽傷のトラウマとして残っているんでしょうね。

映画は正直いって面白くないと思い、
その理由を、
「だって感情移入できないんだもん」
と言ったんです。……それが失笑を買った。

恋愛物とかサスペンスだとかの
一般的な映画なら、
この理由は別に笑われないでしょう。

でも、人食い民族を描いた作品で、
〈感情移入〉ってボケが過ぎるだろ、
みたいな感じです。

でもね。
人を食べる種族にしても、
それをフィルムにおさめる側にしても、
映画に出てくる人の中に、
誰かしら共感できる拠り所が欲しかった。

この映画の中に、その拠り所が
一人もいないんですもの。
それが、狙いなんだろうけれど…。

で、この『フランケンシュタイン』。

『食人族』ほどではないけど、
ぼくの拠り所になってくれる
「これだ!」って人は登場しませんでした。
また、笑われるな。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月10日火曜日

『隣のずこずこ』(柿村将彦)読みました。


今、ウィキペディアを確認してみたら、
iPhoneが最初に発売されたのは
2007年になってました。

それからまだ10年ほどしか
たってないんですね。

猫も杓子もスマホ時代になるまで、
発売後5年くらいかかったとして2012年。
そのとき生まれた子は今6歳。

みんながあの薄っぺらい板の上を
指でスリスリする様子を見て
育ったことになりますね。

その2012年の頃、
小学校の高学年から中高学生くらいだった子
(歳でいうと10〜18歳くらい)は、
もう当たり前で生活の一部に溶け込んでる。

2012年から今は6年たってるわけだから、
その頃の子たちも20歳前後の
いい若者になっている計算です。

とすると、
そうした世代がもし小説なんかを書くと、
何らかの形で物語の中にスマホが
登場するのが当然じゃないかと、
使いこなせぬオヤジのぼくは思うのであります。

で、この『隣のずこずこ』。

ネットによると、著者さんは24歳。
でもでも、お話の中に
スマホは出てきませんでした(たぶん)。

だからなのかもしれませんが、
こういう話、かなり好きです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************