2012年2月28日火曜日

『マルセル・モースの世界』(モース研究会)読みました。

少し前に読んだ、マーク・ボイル著
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は、
とっても感激した本でした。
それと同時に、
なぜぼくがそのやり方を思いつかなかったのか、
すっごく悔しかった。

自分が疑問に思うこととか、
それってヘンじゃないって思うこととかを、
ぜんぜん真剣に考えてない。
ぼくの頭が、へなへな思考力しかないって証拠を、
叩きつけられたように感じました。

そんなとき、
どこかの新聞でこの『ぼくはお金〜』の
書評を見かけたんです。

書評の内容自体は、
それほどびっくする見方を
示していたワケではないのですが、
その中で使われていた言葉が、
またしても、
おのれのアホさ加減を露呈させてくれちゃいました。

書評の中で何の説明もなく、
一般的な言葉として使われていたのが、
贈与経済って用語でした。
……はい、知らなかったんです、そんな言葉。

最初は、書評を書いた人の造語かと思いました。
でも読んでると、そうでもなさそうです。
昔から使われてるよって雰囲気がぷんぷんします。

そんなときは、すかさず検索。
そしたら、出てくる出てくる。
検索結果は、約2,380,000件(0.08秒)でした。
んで、いろんなページを読んでみると、
なぜ、おじさんと呼ばれる年まで生きているのに、
お前はこの言葉に触れなかったのだと、
とほほとほほの連続でした。

そんな情けないネットサーフィン中に
見つけたのがマルセル・モースでした。
なにやら贈与の重要性を言い出した人らしいと。

この『マルセル・モースの世界』。
そんなきっかけで読み始めたんです。
入門書ってどっかに書いてあったので。

モースさんってのは、
ぼくが生まれる何年も前に亡くなっている偉い人です。
んで、
自分の浅はかさがここまでわかってしまった今、
素直に入門させてもらいます。
次は代表作っていわれる『贈与論』かな。
それとも、
モースさんの教えを引き継いでいる
レヴィ=ストロースさんって人の『悲しき熱帯』かな。

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

2012年2月22日水曜日

三上 延『ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常』読みました。

温泉施設とかスポーツクラブとかにある、
少しきつめの吹き出し泡が
じゃわじゃわいっているジャクジーの
お風呂に入ったとき、
うわぁ気持ちいいなって思います。

ずーっと立ち仕事をしていて、
ようやっと休憩できで座って足を伸ばし、
前屈みたいな軽いストレッチをしたとき、
これもまた、うわぁ気持ちいいなって思います。

ふとんの中に入って、読みかけの本に手を伸ばし、
「昨日はあそこまで読んだな、
次はどうなるんだろう。楽しみだなわくわく」
なんて考えたとき、
やっぱり、うわぁ気持ちいいなって思います。

そうやってよく思い出していくと、
変化のないつまらぬ日常だと思っていた生活の中には、
たくさんの「気持ちいい」があるようです。

で、
『ビブリア古書堂の事件手帖2 栞子さんと謎めく日常』。

とっても、気持ちよかったです。
みんなにオススメしたいので、短くまとめちゃいます。
この本、いいですよ。
なかなかの人気で結構売れているみたいなんですけど、
こういう本が売れる国って、いいな。
日本人でよかったって思いました。

あっ、連作短編集なので、
1巻から読んだほうがいいですね。
でも、2巻からでも内容はわかります。

ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常 (メディアワークス文庫)
三上 延
アスキー・メディアワークス (2011-10-25)
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2012年2月20日月曜日

白河三兎『角のないケシゴムは嘘を消せない』読みました。

昔はぼくも、
自分では気取ったつもりの
ヘンテコな文章ばかり書いていました。
例えば、
「その道路にある中央分離帯はいつも薄汚れている」
と素直に書けばいいトコを
「中央分離帯の上の緑は排気ガスで出来ている」
なんて書いてみたり。

そんなふうに少し格好つけたように見せると、
ウケてくれる人が多かったのも確かです。
それで図に乗って、
「よっしゃもっと格好いい文章つくろう」
と勘違いしていたんです。

そんな頃でした。
会社案内のパンフレットに載せる文章を
お客さんにチェックしてもらうことがありました。
自分では格好いいと思う表現を
7〜8個散りばめて、
「どうだ!オシャレだろ!」って気持ちです。

チェックしてくれる相手は、
自分の持つ金属加工の技術を頼りに、
一代で会社を大きくた社長さん。
分類からいえば
「ぼくの格好つけ文章を
一番褒めてくれる人たち属」に入ります。

でもでも!なんと!
技術屋社長が赤ペンを入れ修正要請したのは
格好つけ表現の7〜8カ所だけ。
ドンピシャのピンポイント攻撃でした。

そんときぼくは、
「この人は本当のことがわかっている」と思ったんです。
以降、格好つけ文章は
ぼくの中から徐々に減っていきました。

んで、この『角のないケシゴムは嘘を消せない』。

物語はそれなりに面白いと思います。
ただ、この本を、あの技術屋社長に
チェックしてもらいたいなとも思っちゃいました。

ひょっとしたら、ピンポイント攻撃のはずが、
じゅうたん爆撃になっちゃうんじゃないかな。

角のないケシゴムは嘘を消せない (講談社ノベルス)
白河 三兎
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2012年2月15日水曜日

『法とは何か』(長谷部恭男)読みました。

「波線部分が示すものは、次のうちどれか」。
文章読解のテストでよくこんな問題があります。
例文中に出てくる
「これ」「それ」「あれ」などの指示語に
波線とかをつけて、それに対応するものを、
いつくかの選択肢のうちから選ばせる問題です。

ぼく、このたぐいの問題は得意でした。
というか、面白くできた。
正解かどうかは別にして、
なんだかパズルを解いているみたいで楽しかったんです。

でもね。
それって世の中にあふれている
いろんな文章の読解力をつけるには、
多少の役には立つのかもしれないけど、
ちょっとヘンだなって思うようになってきたんです。
この設問ができちゃうこと自体が、なんだかなぁって。
本づくりの仕事をやるようになってから、とくに。

だって「これ」「それ」「あれ」の本体を、
わざわざパズルのピースみたいに
探し出さなきゃいけない文章って、ヘンじゃないですか。

理解しなきゃいけないのは、
その文章が「何を言っているか」であって
文章の形とか構造とかじゃないでしょ。

一生懸命ほじくり返さないと
宝箱にたどり着けないような
入り組んだ文章を設問にして、
「これが正しい日本語の文章です」みたいにするのは、
なんかイヤです。

国語のテストに採用されちゃったら
「正しい」ってお墨付きをもらったみたいになります。
そうすると、
いわゆる難解って呼ばれる文章が、
のさばってきちゃいます。
んで、さらに、
難解文章てんこもりの本が、幅をきかせるようになる。

こういう状況は、
頭の回転があまりよろしくないぼくにとって、
とても好ましくない傾向なんです。

で、この『法とは何か』。

「波線部分が示すものは、次のうちどれか」。
そんな設問の入った国語のテストをつくりたい人には、
オススメの1冊です。


法とは何か---法思想史入門 (河出ブックス)
長谷部 恭男
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2012年2月13日月曜日

『驟り雨』(はしりあめ・藤沢 周平)読みました。

「なんで結婚しないの?」
と、いわゆる事実婚で長年仲良く暮らしている友だちに
聞いたことがあります。

そのとき友だちは、
「そんな手続きは要らないよ。なんでする必要あんの?」
と答えてくれました。

ぼくは、がつんと一発決められたような気がして、
「そうだよな、
制度なんかに縛られることないんだよな」って思いました。

事実、その2人は、
ぼくの知っているどの夫婦よりも仲良しで、
夫婦らしい夫婦です。
制度に則って届出を出して世間的にいうと
正式な結婚をしているどの夫婦よりもです。

知識がなくて書いちゃうのも申し訳ないんですが、
たぶん江戸時代とかの昔は、
つつましく暮らしている町人たちは、
正式な結婚届なんてなかったみたいです。

だって、この『驟り雨』(はしりあめ)に、
そんな夫婦が何組もでてくるんですもの。

ほかに女ができたから、
もう夫婦はやめだと亭主にいわれて、
おかみさんは、はいそうですかと、
そのまま荷物をまとめて出ていき、
それで夫婦はおしまいとか。

それでも、物語の中に出てくる夫婦は、
ちゃんと制度に従った夫婦よりも夫婦って気がするんです。

この本、読んでいる最中とか読み終わった直後よりも
1日くらい時間がたってから、
じわじわと、胸がぎゅぎゅってくる本です。


驟(はし)り雨 (新潮文庫)
藤沢 周平
新潮社
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2012年2月7日火曜日

『シャンタラム(中)』(グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ)読みました。

「井の中の蛙、大海を知らず」ってことわざには
「されど、その深さを知る」って続きがあるんだよ、
と思春期に聞いていた深夜ラジオが言っていました。

井戸の中にいるカエルは、
外の世界のいろいろなことは何も知らないけど、
自分の暮らしている
井戸の中のことなら何でも知っている。

たくさんのことを広く知るか、
1つのことを深く知るか。
その深夜ラジオのパーソナリティは、
後者でありたいって言ってました。

どちらがいいってワケじゃなく、
広く知っている人も、深く知っている人も、
とにかく極められる人はすごいですよね。
ぼくなんか、なんでもかんでも中途半端で、
広くもなく深くもない。
狭く浅い世界でこっそり生きてる感じです。

で、この『シャンタラム』。
今回読み終えたのは中巻です。

上巻を、身体が傷つけられるような痛みを感じながら読み、
それなりの覚悟をして本を開きました。
やっぱ、痛かったです。
これまで、こんな感覚を受けながら
本を読んだことはなかったです。

そしてこの本、いろんなことを教えてくれます。
なんというか雑多に「広い」んです。
だからこれ、井の中の蛙な人には書けない作品です。
ましてやぼくには絶対ムリ。

ぼくはとりあえず「狭く浅い世界」を
深く掘り下げる作品を目指すことにします。

シャンタラム〈中〉 (新潮文庫)
グレゴリー・デイヴィッド ロバーツ
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2012年2月2日木曜日

『消失グラデーション』(長沢 樹)読みました。

『シックスセンス』って映画を観たとき、
落ちがわかるまでドキドキで、
それも単なるハラハラじゃなく、
すごく雰囲気のあるゴージャスな緊張感が
楽しめたような覚えがあります。

でも、
ラスト近くで「あーそういうことなのね」の落ちが
わかった途端、
急に面白くないって感じてしまったんです。
自分でもなんでかわかりません。
くだらない落ちだったとか、内容にそぐわないとか、じゃない。
たぶん、
そんな落ちを用意してびっくりさせなくても、
十分いい映画だよ、
余計なことはしないでねってトコなんだろうと思います。

で、この『消失グラデーション』、いい本です。

特に、
いろんな小手先手法が使われているのか
使われていないのか、わからない状態のまま読んでいた
前半(あえていえば事件が起こる前)がすごくよかったです。

消失グラデーション
消失グラデーション
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長沢 樹
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2012年1月26日木曜日

『ビブリア古書堂の事件手帖』(三上 延)読みました。

ぼくが文章を書くときの状態には
2種類のバージョンがあります。

それは仕事の文章でも、簡単なメール文でも、
そして今書いているブログでも同じです。

1つは、
サクサクと素早く書けちゃうとき。
もう1つは、
いつまでたってもキーボード上の指が動かないドン詰まりのとき。

その2つの両極バージョンがあって、
どういうわけか、ぼくの場合、
サクサクとドン詰まりの中間っていうのはあまりなく、
速いか遅いかのどっちかにかたよります。
ここまでの文章は、どちらかというと速いほうで、
2〜3分で書けちゃいました。

んで、入力の時間が速くても遅くても、
どちらも同じくらい時間をかけて見直しします。
この見直しのとき、ほとんど修正が入らないのは、
実は速く書いた文章なんです。

悩みに悩んでつむぎ出した文章は、
見直しのときも悩ましい。
でも、サクッと書けたときは、
なぜかちゃんとした文章になっている。
好き嫌いという感情的な面からいっても、
速く書いた文章のほうが好きですね。
ぼくの執筆作業は、
どうやら時間と質が反比例してるみたいです。

で、この『ビブリア古書堂の事件手帖』。

おこがましいことを承知で……。
速く書いたときのぼくの文章を読んでいるような
錯覚をおぼえちゃいました。
はい、おこがましいです。
なんだけど……
なんだか自分が書いたみたいな気がしてしまいました。

シリーズで出版されているみたいなので、続編買ってきます。

ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)
三上 延
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2012年1月19日木曜日

『菊池寛』(ちくま日本文学027)読みました。

高校時代の友だちで、
ぼくと同姓の「きくち」って女の子がいました。
そんなに親しいわけじゃなかったので、
卒業以来、彼女が何しているのかも知りませんでした。
んで、この前、二十年以上ぶりの同窓会で、
そのきくちさんに会ったんです。

でも、そのとき彼女は、
きくちさんではありませんでした。
結婚して名字が代わり、
たかはしさんになっていたんです。

なんと、たかはしさんです。
実はその名字、ぼくのかみさんの旧姓です。
んで、かみさんも高校は同じ。
なので、
高校時代に「きくち」だった人が、
今は「たかはし」になり、
同じく「たかはし」だった人が、
「きくち」になっていたんです。

名字の入れ替わり──。
旧きくちさんと、かみさんと、ぼくは3人で
「へーなんか不思議だね」って話をしました。
えーっと。それだけです。何も落ちはありません。

で、この『菊池寛』(ちくま日本文学027)。

ぼくと同じ名字の、
とっても有名な作家なのに、
今まで一冊も読んだことありませんでした。

ぼくはもう
生まれてから半世紀にもなっちゃうんだから(まだだけど)、
やっぱ一冊はおさえておかないと
ダメだろうってことで、読みました。
感想は「うん、こんなもんか」でした。
何も落ちはありません。

菊池寛 (ちくま日本文学 27)
菊池 寛
筑摩書房
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2012年1月17日火曜日

『巨象も踊る』(ルイス・ガースナー)読みました。

ぼくがよくやる日常の一コマです。

新聞を取りに行こうと思って席を立ち、
2〜3歩あるいたトコで
床にガムの包み紙みたいな小さなゴミが
落ちているのを見つけて、
「誰だよこれ」とかぼやきながら、それを拾い、
新聞置き場とは反対側にあるゴミ箱まで行って、
ゴミを捨てようと思ったら、
ゴミ箱から広告チラシみたいな紙ゴミが
ちょっとだけはみ出していて、
「ちゃんと捨てろよな、まったく」とか言って、
ゴミ箱を正して「ふーっ」とか言いながら、
自分の席に戻る。

その2分後、
「あっ、新聞、新聞」と言ってまた席を立つ。

人間は一つのことに集中しないとダメなんです。
何をすべきなのか、
しっかりと自分に言い聞かせて、
脇目も振らずに目標に突き進まないと、
いつまでたっても新聞は読めません。

でも、ぼんやりしながら進むと、
ゴミ箱がキレイになったり、
ほかのことが片付くってことはあるんですけどね。

で、この『巨象も踊る』。

大きな会社でも、
何をすべきなのかをしっかり絞り込んで
突き進むのが大切だと言ってます。
そうですね、
いけいけどんどんで脇目も振らずに行けば、
目標にはすぐたどり着けるでしょうね。
ほかの余計なことは片付かないかもしれないけど……。


巨象も踊る
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ルイス・V・ガースナー
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2012年1月12日木曜日

『さよなら!僕らのソニー』(立石泰則)読みました。

前にも言いましたが、
ぼくは違う本を並行して読み進めています。
んで仕事でも同じように
ぜんぜんジャンルの違うものを
並行して進めることがあります。

午前中は、
何人もの画家の生涯にスポットを当てて
美術の歴史を解説していく本の原稿を書き、
午後からは、
子ども向けにインターネットを
安全に使うノウハウ本をつくる……
頭の中がごちゃごちゃになりそうな気もするんですが、
実はこれが、そうでもないんです。
まったく違う分野をやっているほうが、
切り替えがうまくいくような気がします。

でも、そんなことやってると、
ときどき、違う分野と思っていたのに
それぞれに重なる内容が浮かんできたりします。

美術の歴史と子ども向けインターネット解説本なら、
例えば著作権。
18世紀にホガースって画家が
自分の絵の海賊版が出ていることに怒り、
それがもとで著作権法ができたとを
午前中に書いたと思ったら、
その午後に、
インターネット解説本の編集の人から
「ブログとかで著作権に気をつけましょう」という項目を
加えてくださいって連絡が入る。
そんなときって、
なんだか妙に同じような重なりが続くんです。

で、この『さよなら! 僕らのソニー』。

昔のようにユーザーがわくわくするような製品を
出せなくなり、業績も低迷ぎみのソニーが、
なぜそんな状況になったかを解説した本。

んで実は今、
『巨象も踊る』という本を並行して読んでいて、
これがIBMって会社が苦境から脱して回復した経緯を
説明している本なんです。
ここで出てくるIBMの苦境の原因と、
ソニーのそれが重なるんです。
意識して並行読みしたわけではないんですけどね。
それに根本的なトコが重なるってだけで、
細かいトコは、ぜんぜん違うんですけどね。
まっそれでも、
ぼくとしては「どっちか一冊でもよかったかな」でした。

さよなら!僕らのソニー (文春新書)
立石 泰則
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2012年1月11日水曜日

『恋する原発』(高橋源一郎)読みました。

子どもの頃、
わざと怒られることをやった覚えって、ないですか。

親のすね毛をいきなりひっこ抜いてみたり、
みんなが楽しんで観ているテレビのチャンネルを
いきなり替えちゃったり(子どもの頃はリモコンが
なかったので、丸いダイヤルをごりごり回して、
へへへとかいう)などなど。

いわゆるイタズラなんだけど、
イタズラ対象者の困っている顔を見るのが
面白くてやっているのではなくて、
怒られたくてやっているというか、
かまってもらいたくてやっているというか、
ぼくはここに居るんだよってことを
知ってもらいたくてやっているというか、
そんな感じのイタズラです。

ぼくは子どもの頃から小心者だったので、
世に言う悪ガキのような
大それたイタズラはできませんでした。

でも、今いったようなちょこっとしたおふざけは、
年に数回やっていた気がします。
さびしがり屋で、
日頃がまんしているさびしさが
段々たまってきて、いっぱいになったとき、
ちょことのおふざけをして怒られ、
自分のことを気にしてもらい、安心する。
そんなサイクルを繰り返していたようです。

イタズラとか悪ふざけって、
人を困らせて喜ぶって心理もあるだろうけど、
自分のほうを見て欲しいって気持ちも
結構大きいんじゃないかなって思います。特にぼく。

で、この『恋する原発』。

ぼくには怖くてとうてい書けないような表現が
いっぱいありました。
そこまで言ったら絶対怒る人いるだよ、
やめておこうよって言い回しがあちこちに。
(どんな危ない表現なのかはタイトルからもわかります)

ぼくは、それらの文章を読んで、
子どものころやった「怒られたいためのイタズラ」を
思い出してしまいました。
そして、子どもの頃のぼくに
「大丈夫だよ、そんなにさびしがらなくても。
ちゃんと気にしてくれる人はいるよ」
ってなぐさめの言葉を送っちゃいました。


恋する原発
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高橋 源一郎
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2012年1月10日火曜日

『吉田キグルマレナイト』(日野俊太郎)読みました。

ぼくが映画学校に通っているとき、
短編のシナリオを書いて、
先生に批評してもらうような授業がありました。

今ではもう、先生が誰で、
自分がどんな作品を書いたのかは、
まったく覚えてないんですけど、
その授業の中で先生から言われたことは、
なぜか今でも頭に残っています。

「君の作品は、
ストーリーの枠組みとか設定とか、
脇役のキャラクターなんかは、よくできています。
上手いって言ってもいいでしょう。
でも、主人公のキャラがまったく面白くない。
これで主人公が面白かったら、
すごい作品なんですけどね」

これってつまり、
見栄えのいいように着飾っているけど、
中身の人間はそれほどでもない、
お前自身はつまらいんだよ!
そんな意味合いにとれますよね。
というか、ぼくはまるまるその意味にとっちゃいました。
だから、先生のこのセリフを忘れないんでしょうね。

よし! そういうことなら、
もっともっとごてごてに飾り立てて、
中身の人間なんて見えないようにして
……そうだ! 着ぐるみを着ちゃえばいいんだ。
そうすれば、中身なんて判断されずに、
着ぐるみのかわいさだけで勝負できるから!

で、この『吉田キグルマレナイト☆』。

着ぐるみでお芝居する役者さんたちのお話です。
ストーリーの枠組みとか設定とか、
脇役のキャラクターなんかが
とっても面白かったです。

吉田キグルマレナイト
日野 俊太郎
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2012年1月6日金曜日

『シャンタラム(上)』(グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ)読みました。

上半身を折り曲げる前屈と同じように、
身体が柔らかいかどうかを試すのによくやるのが、
両手を背中でくっつけられるかどうかのストレッチです。

左右の腕のどちらかを上側から、残りを下側から、
いずれも斜めに背中に回し、
左右の手がたすき掛けのように握手できれば
とっても柔らかくて、
左右の指先が触れあうぐらいでも、まぁ柔らかい。

そんで実はぼく、
つい数年前までは、この柔らか度検証ストレッチで、
左右の手がくっつつどころか、30センチくらい離れて、
それ以上近づくことはなかったんです。
身体こちこちなので……。

しかも、
こんなストレッチを知ったのは高校生になってからで、
高校時代の初体験でも指先はくっつかず、
それ以来おじさんになるまで、
背中の肩甲骨あたりで右手と左手の指先が
出会う感覚を知らなかったんです。

でもね。
きっかけは何だったのか忘れましたが、
2〜3年前から、この背中たすき掛けストレッチを
毎日やるようになったんです。
指先はくっつかないなりにも、
少しでも近づくように「痛っ!イタタタッ!」などと、
うなりながら左右の腕を上下方向にゴリゴリ押していったんです。

そんな、つい先日のこと。
左右の中指同士が背中でちょっとだけ触れ合えたんです。
人生初のくっつき体験です。
「うわっ! ついた! すげーッおれ!」って
思わず叫んじゃいました。

で、この『シャンタラム』。
読んでいると自覚のないまま「痛っ! イタタタッ!」って
口に出してしまうような本でした。
たすき掛けストレッチで出したうなり声と同じ声です。

なので、もうしばらくしたら、
身体が柔らかくなるなり、頭が柔らかくなるなり、
人としての器が大きくなるなり、
なんらかの変化がこの本の読書効果として出てくると思います。
すごいっすよ、この本。
読んだのは上巻、早く中巻、買いに行こっと。


シャンタラム〈上〉 (新潮文庫)
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2011年12月19日月曜日

『仮面の告白』(三島由紀夫)読みました。

ふだん、身体のパーツってのは意識しないものです。

呼吸しているときには、重要パーツの肺が勝手に動いてくれて、
もっと重要な心臓なんて、
自分でドキドキの回数を制御しようと思ってもできやしない。

後ろで物音がすれば、
自然にクビが回って、物音のした方向を確認しようとするし、
歩くときや走るときには、
意識しなくても左右の足が交互に前に出ていきます。

でも。
この意識しないそれぞれのパーツを、意識するときがあります。
それは、パーツに何かの不具合があったとき。
つまり、病気とか怪我とかです。

かぜをひいたら、
今までそこにあることさえ
知らないでいたようなノドの奥のほうが痛くなって、
「自分にはそんなパーツがあったんだ」って気づく。

利き手じゃない左手の薬指にちょっとした怪我をして、
そんなに使わない指だからと高をくくっていたら、
とんでもなく不便になる。

ぼくはぜんそくの持病があるんだけど、
発作のときには気管支や肺の形がわかるくらい、
そのパーツに負荷が掛かっているのを感じます。

って考えると、
身体のことなんかどこも意識しないで、
のほほんと動いたり、
生活できたりする状態を「健康」って呼ぶのかな、
と思ったりします。

で、この『仮面の告白』。

ふつう本を読むと、
「あーつまらない」とか、
「うわっ、オモロイ!」とか、
「うぇーん、ひっく、ひく(泣いているってこと)」とか、
なんらかの感情が生じます。

つまらないなら、つまらないなりの
面白いなら面白いなりの、反応があるもんです。

でも、この本、
たぶんぼくだけだと思うんですが、
何の反応もなかったんです。

つまらなくもなく、
面白いとも思わず、
なんというかとってもニュートラル。

たとえは悪いけど、馬耳東風って感じです。
文字を目で追って、物語の流れの中にはいるんだけど、ただそれだけ。
自分が何も意識しないで、のほほんといるだけ。
この状態ってもしかしたら「健康」って呼ぶのかもしれません。

仮面の告白 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社
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