2016年10月3日月曜日

『ミスター・メルセデス(上)』(スティーヴン・キング)詠みました。



最近では「大丈夫」って言葉も、
拒否の意味を表わせるように
なってるのが日本語です。

「お替わりはいかがですか?」
「大丈夫です」
みたいな使われ方がそれ。

同じように
「いいです」とか「結構です」
なんかもそうで、

肯定も否定も、
同じ言葉で済ませられる。

そんな曖昧さは、
過去形と現在形でもいえます。

普通は、
「いた」といったら過去形で、
「いる」といったら現在形ですよね。

(文法のことを
 よく知っているワケじゃないけど普通は)

でも、
「目を覚ましたら、
 隣に全裸の美女が寝ていた」
と言ってもいい。

美女は今すぐ隣に「いる」のだけれど
「いた」と書いても間違いじゃない。

というかこの場合は
「いる」じゃダメな気がする。
(なぜかは説明できないけど、感覚的に)

時系列によって表現が
キチンと変わる英語なんかに比べると、

大雑把というか、おおらかというか、
柔軟性があるというか、ないというか。

で、この『ミスター・メルセデス(上)』。

英語の時系列表現を
厳密に訳してるからだと思います。
語尾の「る」や「た」のリズムが、
ぼくには合わず、
読んでいてカクンカクンしてました。

それでも、面白い!
すごいっす。キングさん。






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