2016年1月27日水曜日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹)読みました。


記憶が残るってことがデフォルトなのか、
忘れちゃうのが元々なのか、
どっちなんでしょう。

そんなこと考えてたら
「クレオパトラのオシッコ」
の話を思い出しました。

何かの本で読んだ
うろ覚えの雑学なんですが、

今ぼくが飲んでるお茶の中には、
何千年もの昔、
彼女のオシッコだった水の分子が、
数個だか数十個だか
含まれているようなんです。

なんでも、
そのオシッコは、地面にしみ込むなり、
川に流れて海に行くなり、
やがて雲になって雨になってとかで、
地球上にまんべんなく拡散され、
って循環をしていき、

そんなあれこれを計算してみると、
ぼくのお茶は、やんごとない方の、
かつては身体の一部をなしていた物体
(分子が物体といえるかどうかは知りませんが)
のいくつかが、
構成要素として含まれているようなんです。

んで、これが本当だとして、
さらに「記憶がある」ってことが
モノの本来の機能だとしたら、

お茶を飲み分子を身体に吸収することで、
クレオパトラの経験したことを
分子内の記憶として
身につけられてもいいはず。

だけどだけど、
実際にはそんなことはない。

だから、
忘れちゃうほうがデフォルトなのだ!

はい。記憶力のなさを正当化できました。

で、この『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』。

何年か前に刊行された単行本で読み、
今回、文庫本が出たので、再読しました。

再読ってことは一度読んだってこと。

それなのに、あぁそれなのに。
まったく覚えていなかったエピソードが
特大メガ盛り。
記憶って何なんでしょうね…。



色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)
村上 春樹
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