2016年8月22日月曜日

『きつねのつき』(北野勇作)読みました。


2人の娘(双子です)は、
もう社会人で
それぞれの場所で
楽しくがんばっているようです。

保育園から中学までは
もちろん同じ学校で、
分かれてもいいはずの高校も
同じでした。
大学と就職先は別ですけどね。

その娘たちは、中学、高校で
バドミントン部に所属していました。
(あ、大学でもやってたかな)

んで、ぼくも中学・高校の部活はバド、
高校で同級生だったカミさんもバド。

なので、
娘たちの試合があると、
父親と母親(ぼくとカミさん)が
揃って応援に駆けつけ、

試合が終わると、
ショットがどうのとか、
フットワークがどうのとか、
いらぬアドバイスをほざいていました。

大会のある度に、
カミさんと試合見学していた頃、

感じていたのは、
デジャビュというか何というか、

高校時代に過ごしていた自分たちの時間を、
そのままもう一回、
再生しているような気分です。

「他人が体験した事柄を、
 解釈作業などを通して
 自分の体験として再現すること」

っていうのが
辞書に載っていた「追体験」の意味ですが、
まさに、娘たちの体験を通して、
自分たちの高校時代を
再現しているみたいな「追体験」。

タイムスリップとは違うけど
「時をかける少女」的な、
ふわふわ気分でした。

で、この『きつねのつき』。

読んでる途中、
またもや追体験ごごちに包まれました。
今度は、
娘たちを保育園に通わせている頃の気分。
ああ、そうだったなぁ、って。
ふわふわ。






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