確か20歳代のころ、
志賀直哉の『和解』について、
「お前はまだ若すぎてこの作品の良さはわかるはずはない」
と言われたことがあります。
そんで、読んでみたら、やっぱり興味はわかず、
いやいやそれは年齢じゃなく、
作品自体の力ってモンでしょうと思い、
良い作品なら読者の年齢など関係なしに誰でも感動できるモンだ、
なんてひねくれてました。
で、この『越前竹人形』。
そのひねくれの20歳代に一度、読んだことがあるんです。
そのときは、ものすごく素晴らしい作品だと感じ、
人生が変わっちゃうよくらいに思えたんです。
それから二十数年。
新刊のストック本がなくなり、
仕方なく本棚の隅に隠れていたこの本を再読。
あのときの感動をもう一度と、
どきどきしながら読みました。
驚いたのは、細かい部分はもちろん、
全体のストーリーも結末もまったく忘れていること。
ひとかけらの記憶もありませんでした。
まあ、だから新鮮な気持ちで読めたんですが、
期待に反し、怒濤の感動はまったくなし。
ふーん、面白かったって程度です。
やっぱり、読む年代によって作品の評価は違うのかな。
『和解』も、もう一回読んでみようかな。