2011年5月6日金曜日

とっても格調高いです。

『村田エフェンディ滞土録』(梨木香歩)読みました。

昔、『読んでみたい源氏物語』って本をつくったことがあります。
あらすじと豆知識をちりばめ、
お手軽に源氏物語を知ってしまおうという本です。

源氏物語って、オリジナルは千年も前に書かれたものなので、
今とは相当違う言葉づかいになっています。

例えば今なら第1章とか第1節とかの用語を使って、
お話の区切りを表したりするんだけど、
源氏物語では「帖」。「じょう」ですよ。

第1帖とか第2帖とか。
部屋の広さじゃないんです。

法律とかで使われてる「条」なら、
まだわからないでもないんですが、
「帖」って何よって思っちゃいます。

読む人の思考を、
複雑な文章のつくりや難解な用語で止めてはいけない、
すすっと読めて、中身がストンと頭に落ちないといけない
──本をつくるときは、いつもそんなことを
考えながらやってるぼくは、この源氏物語の「帖」が
なんとも悩ましかったんです。

いっそのこと、
チャプター1とかセクション1とかに変えちゃおうかと
何度も試行錯誤しました。
だって、古文に一度も触れたことのない人にも
読んで欲しかったんですもの。

でも、それだと、ぼくのつくった本をきっかけに、
源氏物語にはまる人がもしいたら、
その人に申し訳ない。
たぶん、そんな人は原文や現代語訳を読むことになるだろうけど、
そこにはチャプターやセクションなんて、どこにも出てこないから。
逆に混乱しちゃうだろうなって思ったんです。

で、結局「帖」はそのままにしました。
今でもどちらがよかったのか判断できていません。

そんな感じで、ぼくがつくる本は、
できるだけ何も考えずに、
文字を目で追っていくだけで、
内容が伝わるものにしたいと思っているんです。

文章の「重々しさ」とか「格」なんていらない。
それってぼく自身にもいえるんですけどね(名誉とかって要らないです)。

でも、物語を語る小説を読んでいて
「うわっ、これはなんて品のない文章なんだ」とか
「もっと重々しく書けないのかな」なんて感じて、
内容はストンと頭に落ちてくるものの、
評価が低くなってしまう作品がたくさんあります。

それとは逆に、
「この文章は格調高いな」とか、
「熟読しないとこの文の構造は理解できないけど、そこが素敵」なんて
思って、大好き本リストに加えてしまうものも少なくありません。

人に読んでもらう本は「わかりやすく」って思いながらつくる。
で、自分が読む本は多少小難しい文章でもそのほうが楽しい。
うーん、これって矛盾そのもののような気がします。

で、この『村田エフェンディ滞土録』。
とっても格調高い文章です。
今度はこの文章を真似て、本づくりしようかなと思うくらい。

あっ、そうそう。
ちなみに『源氏物語』の原文も、
あちこちで格調高いっていわれてます。
んで、ぼくのつくった解説本は、
文章的には何の格調もありません……はい。


村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)
梨木 香歩
角川書店
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