2010年12月1日水曜日

頭の中に「もし」の連射

『リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上)』
(アンドリュー・ロス・ソーキン)読みました。

歴史で「もし」を語るのは無意味だといわれます。
関ヶ原の合戦で徳川軍が負けていたらとか、
太平洋戦争で日本が勝っていたらとか。

そんな「もし」を仮定しても、
事実は変えられないのだから無意味だと。

でも、ぼくは「無意味」がもう少し違う意味を
持っているような気がするんです。

事実を変えられないから無意味なんじゃなく、
いろんな「もし」が本当にあって事実が変わっちゃったとしても、
結局のところ現在の世の中って、
同じなんじゃないかなって。


「もし」を語ろうが語るまいが、
「今現在の世の中は一緒だよ、
人間がやること、やれること、つくれるものなんて
そうそう変わるものじゃないんだから」みたいに思うんです。

そんな意味で、「もし」を考えるのは、無意味なんだろうなって。

で、この『リーマン・ショック〜(上)』。

読んでいる途中で
「あれ? もしかしたら、このリーマンの社長が
この発言しなかったら、世界中の不況もなかったんじゃない」
「この財務長官が違うこと言ってたら、
もっと早く手を打てたのに」というように、
「もし」ばかりが頭に浮かびました。

「もし」が現実になった場合でも
世の中や歴史は変わらないものだと言ったばかりの頭が、
「もし」を連射で考えていたんです。

リーマンの社長がなんて言おうと、
財務長官がどんな行動をしようと、
きっとリーマンショックと同じような経済の動きって
日本にも来たんだと思います。

そしてもうひとつ間違いなくいえることは、
ノンフィクション物を読んでいるときに
頭の中に「もし」が連射される作品は、
ぼくにとってとんでもなく面白いってことです。

さあ、下巻を買いに行ってきます。


リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上) 追いつめられた金融エリートたちリーマン・ショック・コンフィデンシャル(上) 追いつめられた金融エリートたち
アンドリュー・ロス・ソーキン 加賀山卓朗

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